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石楠花(しゃくなげ)の花が我が家の庭に咲いている。
もう半月以上になるだろうが、ちょうど洗面台の窓の外に美しい花を咲かせ続けている。僕が高校生の頃だったろう、庭いじりが大好きな父が山合いの「シャクナゲ祭りの村」から買ってきたものである。
ヒマラヤ原産のツツジ科の低木であるが、美しい花にも色々タイプがあるようだ。我が家の数ヶ所のシャクナゲは全部同じ色であり、恐らく「ツクシシャクナゲ」のなかの「ホンシャクナゲ」というタイプではなかろうか?借用した下の写真が似ていた。
シャクナゲは庭の隅っこに咲くのが似つかわしいと思う。座敷の暖かな縁側に座っても全く見えない。お客さんからは気付かれない場所、洗面所とか風呂からしか見えない。庭を歩くと何とか奥の方に見え隠れする薄いピンク色の大きな花は、スッキリと静かな色白の女性に似ている。首が細く、スラリとして、切れ長の眼で遠くを見つめる彼女は毎年春先に訪れる。取り立てて手入れを必要とせず、梅や桜の様に生き急ぎもせず、藤棚の様な注目を集めるでもなし。
父はシャクナゲが好きなようだ。少し花の数が以前より減ってきた気がする。父のように老いが迫ってきているのであろうか?出来れば、これからも永く庭の片隅でひっそりと美しい花を咲かせ続けて欲しい。
読んでくれてどうもありがとう。
My ROCKY シリーズの一応 Final Description としまして、懐かしき愛しの『KELLY DRIVE』の事を書きたいと思います。「KELLY」は大好きな女優、グレース・ケリーと深く関連します。
ロッキーがグレーのスウェットを着て、フィラデルフィアの街中をあちこち走り回ります。今回も少しだけ出てきましたが、犬を連れて緑多き川沿い(今回の映画で川は映ってませんでしたが)のフラットな道をランニングします。第一作では、確か大きく張り出した岩(最下の写真?)を廻り込む様にして軽快にトレーニングをしています。あの道自体は整備された遊歩道ですが、高い崖とSchuylkill(スクルキル)川に挟まれた車道と並行して走っています。その車道のうちの美術館からManayunk地区の Falls Bridge までの約4マイルを、グレースの父親の功績を称えて「KELLY DRIVE」と称しています。対岸も含め、崖の上まで広々としたFairmount公園になっており、全体を開発管理運営しているCommision の立役者が父親だったようです。
当時の日本からの留学生たちは全員、グレースケリー縁の道路と信じていましたが、インターネットの無い時代の悲しさ、間違って理解していました。あの頃、ネットがあったら楽しかっただろうな・・・ちなみに、留学中に下の記念切手が初めて発売され、僕ら日本人留学生は皆たくさん購入してしまいました。今はいずこ、ですが・・・

グレース・ケリーは1929年に生まれましたが、父は独力で成功した億万長者でした。オリンピックのボート競技で金メダルを取ったこともあったそうですが、Schuylkill River はボート競技が非常に盛んで、美術館の裏手には有名な美しい Boathouse Row があります。夜は一段と綺麗に輝きますよ。

裕福な家庭で育ちましたが、ハイスクール卒業後、家族の反対を押し切り女優を志し、1949年にブロードウェイデビューしました。『真昼の決闘』、『ダイヤルMを廻せ!』、『裏窓』、『泥棒成金』、『喝采』、『上流社会』と、彼女の魅力が溢れる作品が続きました。全部大好きです。

話を KELLY DRIVE に戻しましょう。
Schuylkill とか Manayunk とか言うように、このあたりはインデアンの住む地域でした(どこでもですが・・)。大きな川沿いはうっそうとした森が広がっていたんでしょうね。いつか書きたいですが、僕の住んでいた場所も裏手には広々とした原生林が今でも広がっています。
最初の留学先に近いので住所を決めたのですが、二つ目の留学先であるPenn大や市街地に行くには毎回 KELLY DRIVE を利用しました。だからというわけではありませんが、少なくともPhiladelphia周辺では最もお気に入りの道路です。ジョギング、スケート、散歩、釣り、ボート(これは競技者許可制でしょうが)、水鳥遊び、ヒナタボッコ、美術鑑賞・・・なんでもゴザレの美しい公園道路です。なんと、4マイル内に50を越える像などの美術スポットが紹介されていました。映画に登場してくる見晴らしのよい崖の上のエイドリアンの墓地は、恐らく公園内の Laurel Hill Cemetery ではないでしょうか。
この上の写真は、巨大な岩をくりぬいて道路を作っていった頃のものでしょう。曲がりくねった景色のよい道路を開発してケリー一家は財を成していったのでしょうか?少なくとも僕は感謝してます。
用事が無い限り、NYやワシントンDCに行ってもフィラまでは行きません。あわよくば行っても KELLY DRIVE は通らないかもしれません。でも、時間が許せば是非、ロッキーが走った素晴らしい道をどうぞ楽しんでみてください。
読んでくれてどうもありがとう。
面白い本を読んだ。本当は「読書」のカテゴリーなんだろうが、僕は「単一」カテゴリー方針を当ブログで貫いていて、「趣味」とも悩んだ末に、今回は『1976年のアントニオ猪木』の時代に敬意を表して、「スポーツ」カテゴリーにエントリーしたい。
1976年といえば、研修医の方々は生まれてもいない時期。40歳以下の方はリアルタイムの記憶はなかろう。先に色々ブログで書いたROCKYの第一作は、1976年のアカデミー最優秀作品賞を受賞。ROCKYは1975~6年のボクシングのヘビー級タイトルマッチの話であるが、口達者なチャンピオン役のアポロ・クリードは、明らかに当時の現役チャンピオンの「モハメド・アリ」をモデルにしていた。
その「モハメド・アリ」がキンシャサでフォアマンを破りピークを迎えていた時期、取り巻きどもの浪費のせいでお金を必要としたアリは、世界中に「誰でもかかって来い。プロレスでもOKだぞ・・」と宣言した。今のボクシング界はツマンナイですね。誰がヘビー級世界チャンピオンか誰も知らない。当時は凄いボクシング人気でしたよね。今の「浪速のなにさま」にTV局が頼る貧弱さを素人ながら怒りたくなる気分です。
当時、ジャイアント馬場を掟ありの興行面でどうしても超えられなかったアントニオ猪木は、正真正銘の世界王者アリと戦う事によって、日本プロレス界の頂点に立とうと目論んでいた。しかし、結果的には、日本のプロレス界だけの話ではなくなり、世界の格闘技路線を現在の形に方向付けた立役者に「良くも悪くも」なってしまった。
猪木は、その前にオリンピックと世界選手権で柔道のチャンピオンになったウィリエム・ルスカと異種格闘技戦をやっている。これは、「リアルファイト」ではなかったようだが、後の小川直也とかとは比べ物にならない史上最強の柔道家の一人であったルスカは、自分を嫌う先輩柔道王の「ヘーシンク」を超えるために猪木との戦いに挑んだ。猪木とルスカという、ある意味で不遇な実力者同士による「格闘技新時代幕開けのゴング」が、「リアルファイト」のアリ戦へと繋がったのは奇跡であり猪木の努力の賜物だと思う。
その猪木は1976年に韓国とパキスタンの英雄を「リアルファイト」で叩きのめして以降は、決して「リアルファイト」をしなくなったようだが、如何に「危険なリアルファイト」を戦ったか、そしてそれが今のK-1やPRIDEや修斗やアルティメットなどに影響を与えているか等が良く理解できる。
この本は非常に面白い「ノンフィクション」作品だと思うが、非常に「ユニーク」でもある。相当に周到に幅広い取材を行い、殆ど全ての関係者達の貴重な証言で構成されている。これまで公表されてきた「猪木真相物語」とも大きくちがう「闘いの真相」が描かれている。しかし、『猪木とアリの肉声』だけは一切無い。取材申し込みに応じなかったようだ。それでも、「リアルファイト」であった事は周囲の証言から揺ぎ無い。本人達が語る言葉が全て真実ではない以上、語らない方がより真実に迫る本に仕上がったのかもしれない。
しかし、周囲から造られた虚構や自身の猥雑さで、1980年以降はまるで違った姿になってしまった猪木ではあるが、タイガーマスク(佐山聡)という本物の天才をしても猪木は超えられない。ヒクソン・グレーシーも然り。高田などは、女房の尻に敷かれてカワイそうな体たらくである。僕は今のプロレスには興味は無い。天才「佐山」が天才ゆえに去らざるを得なくなって以降のプロレスは詰まらない・・・
今や穢れてしまった最高の「プロレスラー」が挑んだ1976年の「リアルファイト」・・・ これがプロレスと格闘技の世界を変えていくスタートだった事は恐らく誰にも否定できない。
猪木にとっても良い本になったんじゃないかと思う。もし馬場が生きていたら悔しい思いがするだろうと感じるが・・・
読んでくれてどうもありがとう。
開業医も大変ですな~あ いや~あ凄すぎます
他人事みたいですけど自分の事なんですね。今現在、m3医師専用掲示板で最も爆発的な批判集中のテーマが「開業医は携帯番号公表して、24時間365日奴隷の如く働きなさい」という馬鹿提言の話。馬鹿の考える馬鹿な提言に馬鹿正直に反応してしまう我々開業医は真面目な人種なんですね。
如何に馬鹿げているか、以下に・・・・コピペです。
厚労省は13日、開業医に対し地域で果たすべき役割として、日曜日や祝日、夜間も診療することなどを求めた今後の医療政策に関する報告書案をまとめた。現在は時間外や日曜・夜間の診療を行っている診療所が減少するなど身近な地域での医療に不安があると問題提起。このため、開業医について(1)地域で在宅当番医制のネットワークを構築、日曜日など救急センターに交代勤務(2)いつでも携帯電話で連絡が取れる(3)午前中は外来、午後は往診、訪問診療(4)みとりまで行う在宅療養支援診療所を含めグループによる対応で24時間体制の確保―といった取り組みが期待されるべきだと提言している。病院と診療所の役割分担については、診療所は1次的な地域医療の窓口として患者の生活を支えながら、急な発症への対応を診療所同士や病院との連携で実現。急性期の病院は、質の高い入院医療が24時間提供されるよう原則、入院治療と専門的な外来診療のみとする。報告書案は、都道府県が08年度までに定める医療計画づくりに役立てるようまとめた。
m3掲示板をお見せできないのが残念なほど。世間様の規制緩和、自由奔放、過保護享受、クレーマー万歳、下流志向のトレンドと完全に逆行する規制強化、自由剥奪、保護拒絶、サンドバック状態、高学歴ノーリターン体質・・・・まあ、自虐的に多少オーバーな表現になっていますが、開業医の皆さんを本気で怒らせちゃって良いんですか?
まずお役人殿は、なぜ時間外診療を開業医がしなくなったのかを分析して下さい。・・・・・「医薬分業政策」じゃ、時間外無理ですね。「有床潰し政策」じゃ、職住分離で夜勤者確保困難ですね。「診療報酬削減政策」じゃ、時間外勤務者確保困難ですね。この辺の政策立案は誰がしたの?
「クレーマー増産」は、マスコミと失政の共同作品? お蔭様で、アメリカンな訴訟社会完成? 文系エリート様方の弁護士応援計画? 「ゆとり教育」とやらで、挨拶も出来ない皆様方とご対面? 「個性尊重」とやらで、診察室でも脱帽拒否やら下着着用やら会話拒否まで色々ござる。 市長が狙撃され、医者が刺され、それでも携帯電話で呼び出され・・・治らないからグサリ?
もし午後の往診を頑張ってやりますと、患者さんは「いつ行っても医師不在」だとして、開業医の人気凋落してしまいがち、経営的には逆に苦しくなります。そのうち、往診の体力が枯渇します。もし携帯電話を教えると、全然知らない「患者の知人」から深夜にあり難いお電話を頂けます。もしグループ診療しないと成り立ちようがないなら開業医でなくて勤務医とご一緒ですね。
そもそも・・・・
開業医は勤務医を逃げた人ばかりだろう・・と官僚の人は本気で信じてるんですか?少なくとも僕の知ってる回りの開業医達は、「逃げたというより、頑張って開業医を起業した人」ばかりですよ。勿論跡継ぎも多いですが、勤務医を逃げ出す人は開業医としては成功しそうも無いですよ。
どっちかというと、教授になれなかったから大学には未練は無い・・・とか、年功序列や学閥で院長や部長になれないくらいなら大病院には未練は無い・・・とか、生涯賃金が高卒程度なら勤務医には未練は無い・・・とか、奴隷になるより一国一城の主を望んだ・・・とかが殆どじゃないですか? だから、今回みたいに現場を知らない馬鹿な官僚が馬鹿な「奴隷促成栽培政策」を持ち出すと、ムラムラ怒りが湧いてくるんですよ。
開業医の皆さんは逃げたんじゃなくて、サラリーマン体質が向かない人達なんじゃないですか? 今回の「奴隷政策」は、サラリーマンに与えられる労働基準法も有給休暇も夏休み正月休みリフレッシュ休暇もな~んにも無しに、命令されてこき使われて、それでいて訴訟危険度は増大する。尊敬のソの字も消えちまった今の開業医・・・誰が誇りを持って全力で働けますかい?子供を旅行にも連れて行けません。普通の家族の喜びは一体どこに・・・
それとですよ・・・
開業医も経営者の端くれ、色々経営の事、職員の待遇の事、地域医療計画など・・・・これらは少なくとも5~10年のスパンで熟考して動きたいんです。事業計画を立てるときも5年は先読みして動きます。雇用計画も同じです。それなのに、肝心の中央の医療政策が1~2年しか先読み出来ないなんて糞ですよ、クソ計画。もしも部下がこんな馬鹿計画立ててきたら一日中廊下に立たせてお説教してあげますよね、みなさん。来年4月以降の大改革?がまだ何にも決まってない。こんな馬鹿なことがありますか?
ところで、携帯電話の番号を患者さんに教えるか否かが掲示板で大きな論争になっていて、多くの人は「教えない派」のようですね。でも、当ブログで以前に書きましたように、僕は受診した患者全員に初診時に教えています。なんと、病院の裏口にも表示していますから実際は公表してるのと同じです。携帯番号ではなくて、携帯に転送される秘密番号なんですけどね。かけてくるひとは僕の自宅番号と思ってかけてきますが、携帯番号と同じです。ですからマンション押し売りはかけてきません。
困った事は、いまのところありません。夜中でも日曜でも、ディスプレイ番号見て出たくない気分の時は出ません。出なくて文句を言われた事はありませんし、留守電にメッセージを残しているのを聴いてからでも判断できます。どうしても出るべき特定の患者達は事前に番号登録していますので、名前を確認してでます。
しかし、とにかく電話には出てみて、もし診察したくない時や相手には・・・よく話を聴いてあげたあとで、「すみません、これは携帯です。今、どうしても外せない用事で遠くの街にきています。明日までは帰れそうもありません。@@してみてください。僕の方から**病院に電話を入れときましょうか?」と親切に対応するものの、診察自体は気が向かない限りしない・・・と言った方法も取れない事はありません。東京に学会で行っています・・とか、旅行にいってます・・とか、酒飲んで酔っ払っています・・とか、僕が熱出して寝込んでます・・とか嘘言っても携帯だと全然ばれませんし、「それでもいいから飛行機で今すぐ帰って来い」などとごねる患者はさすがに遭遇したことはありません。夜中には飛びませんが、飛行機に乗ってる時は携帯は切りますけどね・・・
これからは多くなりそうで心配なのは、時間外診療中のトラブルでしょうね。医学的トラブル、金銭的トラブル、身体的危険性、セクハラやレイプ関連・・・でしょう。
女性の開業医さん、夜中一人で男性の患者を診察したらレイプされちまいますよ。男性の開業医さん、若い女性を診察したら痴漢呼ばわりされちまいますよ。どちらも危険です。痴漢冤罪報道一発で開業医はアウトです。医療訴訟より痴漢やレイプや強盗がはるかに危険です。時間外はセンター化して出向いて診察すべきですね、当番医ではだめです。事業主体は自治体依頼で安全保障は必須の要望事項ですね。
将来もし新型インフルエンザが流行しだして、時間外に発熱で診察したら貴方の命がアウトかもしれません。開業医を虐めると、新型インフルエンザの診察に協力する医師が本当に逃げ出しますよ、死ぬよりいいから・・・
などなど、書きたいことの10%も書けませんね。m3掲示板に言いたい事は大体書いてありますが、僕が書いてることを全部実行しているかというと、そういうわけでもありません。まだ、そこまで当地域は荒廃してはおりません。なんとか、地域医療のことを考えながら頑張っております。気分が悪かったので少々大げさに書きました。
しかし、昨夜も冷えました。気温じゃないですよ。夜8時、便秘でイレウスになりかかりの患者に浣腸したら、排便中にトイレで血圧下がって暫らく横になっていただきました。ただの便秘でしたが、浣腸だけでも危なかったですよ・・・冗談じゃありませんね。
でも、子供に開業医を継がせるのは可哀想な気がしてきますね・・・
読んでくれてどうもありがとう。