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もし貴方の病院やクリニックに、鳥インフルエンザや新型インフルエンザの患者さんがやって来たら、あなたは素早く診断して院内やコミュニティーでの蔓延を防ぐ事が出来るだろうか?また、そのために何をどのように努力するだろうか?
私は数年前に季節ハズレのインフルエンザ大流行を経験して、流行の最初の「グラウンドゼロ」になった場合の対応の難しさを痛感した。当地は飛行場も港もない平凡な日本の片田舎であり、穏やかな気候の平野に適度な人口密度の人が暮らす普通の地方の市である。平安時代からの歴史をみても、ある疫病がこの地から周辺に拡がって行ったという記載は全く見当たらない。住民も医師も、変な疫病はまず遠くで流行してから近くにゆっくり波及してくると思っていた、その年までは。何時の年も、インフルエンザは遠くの地方で始まり、県内の離れた大都市で学級閉鎖があってから1月に入ってジワット流行しだすという予想が外れた事は、まず無い。ところが、2002年だけは、全国で真っ先に当地で当院でインフルエンザが流行しだした。最初の患者をインフルエンザと診断したのは試供品のキットがあって全くの偶然だったが、結局のところ、周辺の大流行と混乱を食い止めることは、私にはあまり出来なかったようだ。
ところで、鳥インフルエンザや新型インフルエンザの迅速判定キットは既にあるのだろうか?東京や大阪がまず「グラウンドゼロ」になるだろうが、福岡などの地方都市もアジアからの旅人が多いばあいには、その可能性は必ずしも低くはない。
さて、話を2002年11月23日夕方6時に戻そう。
@@保健所長さんが自宅から休日にも関わらず電話をくれるまでに、私は患者家族たちから再度詳しく話を聞いて感染経路の解明をしようとしていた。そこから浮かび上がった疑いは以下の様なものであった。
(再度書きますが、とりあえず フィクション・・・です。)
こんな片田舎にも確実に国際交流の輪が拡がっている。小さいながらも熱心な国際交流組織が古くからあって、アジアやアフリカなどの留学生や交換学生を中心に、少人数グループや学校単位での交流が盛んである。時に市をあげての大規模な国際交流も行われ、ちょうどその年の11月19日にアジアのK国から小学生の一団がやって来ていた。一行はまず、県内の高原にある研修施設で集団合宿をやり、翌20日から市内の各小学校に交流目的で入り、市内の小学生の沢山の家庭で2泊ホームステイを行った。
その年は寒い11月だったためか、高原の研修施設が異様に寒く、K国からの小学生達の多くが初日から体調を壊したそうだ。21日に数名が高熱で市内の病院を受診したが、インフルエンザの診断は当然ながらついておらず、小学校での交流行事は予定通り行われた。22日には日本の子供達にも高熱を呈するものがポツポツと現れだし、市内の小児科で数名がインフルエンザを疑われたが、その時点では学校側はまだ把握していない。また、その日のうちに予定通りK国へ子供達は帰っていった。
22日夜から23日にかけて、ホームステイ先の多くの子供達が高熱を出した。母親達が横の連絡を取り出して、その疑惑が浮かび上がり、休日ながら一部の学校関係者も異常に気づきだした。私の診療所への受診はそんな疑念を抱きながらのものであった。楽しみにしていたK国との国際交流が原因だったのだが、まさかインフルエンザだとは母親達も疑ってはいなかった。当然ながら予防接種をその時点で受けていた子供達はほとんどいなかった。
@@保健所長に私は聞いた。「どうも当地でインフルエンザの流行が始まっているようなんですが、私がネット検索する限り見当たらないのですが、全国のどこかでインフルエンザが流行しだしていますか?」 当然ながら「私が知る限りNOです」という答えだった。私は、「市内の5箇所の小学校で、K国の子供達を介したインフルエンザ感染が急速に拡がろうとしています。当院だけでも今日10人以上が来院し、キットで陽性となりましたが、タミフル在庫も底をついています。明日はもっと拡大しそうと思いますが、明日の当番医や他の市内の医療機関や学校に情報を流して対応を急ぐべきと思います。多分通常のタイプとは思いますが、彼の地では鳥インフルエンザの流行の噂も報道されてましたし、咽頭スワブも冷蔵保存しておきますので、必要があれば言って下さい。」と言った。所長は、「明日の当番医には連絡を入れますが、引き続き情報を上げてください。ありがとうございました。」と言って電話が切れた。連休中に多くを期待した私が悪かった。保健所長が校長や薬品卸など、全てを手配してくれると浅はかながら期待した。
25日の月曜日になって、益々多くの小学生達が診療所にやって来た。多分、市内の多くの医療機関には患者が殺到しだしてるに違いない。保健所に伝えても、「全国の情報を含めて調査中」という返事で特に動く気配はない。26日になると兄弟間や国際交流のなかった学年や、塾などを介して他の小学校にも少し広がりだした。小学校ではクラスによっては既に半数以上が欠席しているらしい。7割近くのところもあるが、学級閉鎖の決断が下せないらしい。
もし外国由来のインフルエンザが特殊なインフルエンザだったら?私は急速に増え続ける患者数を各学校の教諭に聞くにつれ、予防接種を殆ど受けていない時期の感染拡大を防ぐには・・と、当院の患者でもある市の幹部職員にも連絡を入れた。市の教育委員会にも直ぐに話が行ったようだが、K国との国際親善交流が絡む微妙な問題だから、なかなか全国で最初の学級閉鎖には踏み切れない・・という市上層部や学校幹部の苦悩が見え隠れする日が続いた。
この後も、当地を中心に毎日2~3kmずつ円の半径を拡げるように流行が拡大していった。行動制限など無ければ、これが当然なのだ。タミフル販売の中外や薬品卸の人達の話からも、「こんな風に実際に流行というのは拡がって行くのか」との公衆衛生の原理が目の前に展開されていった。12月を前にして、たちまち周辺地域に大規模流行が拡大し、案の定タミフルが地域から完全に品切れになってしまった。急いで全国からかき集めたタミフルも限界で、シンメトレルもリレンザも年内に底をついた。あとは中外の再出荷を期待するだけだった。
それでも、全国最初の学級閉鎖の汚名を免れるためにか、たとえ7割欠席でも授業が続けられていたが、他の地域で学級閉鎖が始まるや、雪崩をうったように当地の小学校も学級閉鎖に踏み切った。いくつかのクラスでは既にピークを過ぎていたし、親からの苦情も国際交流の名の下にあまりあからさまにならなかった。
TVでも当地の早すぎるインフルエンザ流行を報道はしていたが、国際交流の話は最後まで全く出なかった。地域では皆が知っていた話ではあるが、報道自粛が行われていたようだと思う。しかし、国際交流だからといって学級閉鎖を避ける必要がそんなにあったのか?連休明け最初の11月25日に市内各校に保健所からの通達を入れて一斉に学級閉鎖をしていたならば、全国からタミフルが消えるほどの大流行には決してならなかったと思う。また、翌年の予防接種不足も恐らく引き起こさなかったと思う。
当時、私の診療所には市長を始め市の幹部が何人も通院されていた。なぜ、もっと強く学級閉鎖を勧告しなかったのかと反省している。結果的に通常のインフルエンザだったから良かったが、外国からの感染症の季節はずれの落下傘的侵入に対しては、たとえインフルエンザであっても、もしかしたら未知のタイプかもしれないという用心を常にすべきだと思う。
大げさな心配だと笑えるうちはまだ良いが、鳥インフルエンザや新型インフルエンザ、SARS、さらには生物兵器としての組み換えインフルエンザなど、残念ながら現代においてはいかなる可能性も完全には否定できない。咽頭スワブの保存も結局のところ保健所は調べようとしなかった。その年の最初の流行のウイルスタイプ検索は大切なはずなのに、保健所までもが地域住民の健康よりも国際関係を重視したのであろうか?
再び問いたい。
鳥インフルエンザや新型インフルエンザが突然あなたの診察室に現れたら、あなたは正しく診断して感染拡大を食い止める事が出来るだろうか?特に相談できる人も限られる祝祭日だったらドウだろうか?
私は全く自信がない。もし最初の新型インフルエンザの患者が私の診察室の扉を開けて入ってきたら、私は真っ先に感染して命を落とし、私の名前が日本中に報道される事になると思う。SARS流行の時が正にそうであり、相当な数の医師や看護師がその命をはかなく落としていった。
読んでくれてどうもありがとう。
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