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自由をあげるから もう一度どこでも行っていいよ・・・と言われたら、この時期 Bermuda を選んでしまうかもしれない。特に寒いのが苦手な私としては、1992年の元日をBermuda で迎えた旅の事を思い出してしまう。
零細開業医として、今では一泊旅行以外は諦めているが、借金を返し終わったら、時には人並みに海外旅行でも楽しんでみたい。医師になってからの大晦日と元日は、55%が病院内勤務(当直など)で患者さんと過ごし、5%が静かに家に居て、40%が幸運にも旅行先で迎えた。うち4回は海外での年越しであるが、多くは留学中だったので、はるか昔の話だ。忘れそうなのでブログに覚えていてもらおう。
1991年の年越しはNYだった。これは日本人には良くあるパターンだろう。ブロードウエイのカウントダウンの大混雑の風景をセントラルパーク イーストのプラザ アテネのテレビで眺めた後で、評判の良い小さなジャズクラブに出かけた。もちろんカウントダウン前の興奮を求めて・・・。私達が結婚した最初の歳で、留学して最初の年越しであった。
それなりに楽しくはあったが、なんとなく再びNYで年越しをしたいとは思わない。一夜明けてのNYの元旦の朝も冷たく寂しい雰囲気で、私達はサッサとPhiladelphiaの街に帰ってしまった。ところが、噂にはきいていたものの、PhilaのMummers Paradeの華やかさと 陽気さと ファンキーさ・・には一目で魅了されてしまった。何事も灯台もと暗し・・である。これについては、後で書き残したい。

さて、相変わらず前置きが長くなったが、1991年の大晦日の朝に、Philadelphia空港からの直行便で英国領Bermudaに飛んだ。もちろん格安チケットで、大抵のお金持ちは31日には出発しないらしい。バミューダトライアングル・・という言葉が気にならなかった訳ではない。多くの日本人留学生はフロリダやバハマの方を選んでいた。我々もジャマイカに行こマイカ・・とも思ったが、直行便の有無や経済的理由で飛行機墜落の危険性をも顧みず飛び立った。謎への興味と手軽さ、(今では違おうが)日本人の少なさ・・が決め手となった。
日本人は確かに一人も当時見かけなかった。謎は・・・謎のままだ。
手軽さ・・というのは、英国領でありながらアメリカ東海岸から非常に近いのだ。ロンドンから5400kmなのにワシントンDCからは1200kmでマイアミに行くのと同距離である。東京から奄美大島までと同じなので、英語も通じアメリカ領みたいだ。緯度もSan Diegoと同じで、暑過ぎもせず寒すぎもせず素晴らしい気候、アトピー患者もいないだろう。それでいて英国領であるため、陽気だけど傲慢なアメリカ人的ではなく、心地好い対応が期待出来る「外国」なのである。
釣り針の形に似たひょろ長い島には鉄道もなく、バス路線も少なく、もっぱら観光客はタクシーを利用する事になる。しかし、何と言っても島の入り江を渡す船が主要な交通手段になっていて、観光客も楽しみながらユッタリと利用している。首都Hamiltonへ向け、私達も何度も利用した。内海の入り江に浮かぶ多くの帆船やクルーザーに混じってマリンスポーツを楽しむ人々。私達はレンタルヨットが無かったので利用しなかったが、外洋に面する南海岸の美しいビーチは魔の海域に属しているので「遠慮した」というのが本当のところだ。
クリントンと大統領選挙を争ったロス ペローという大富豪やセレブたちが荒っぽい断崖絶壁の東海岸を中心に超豪邸を構えているが、海上のビバリーヒルズさながらである。007のロケ地みたいにアストンマーチンがノンビリ走っている。離れ小島の英国領、治安は飛びっきり良好で、それもアメリカ人のセレブに特に好まれている理由に違いない。3日間の滞在中、我々もタクシーを随分利用した。島中を2往復位したかもしれないし、観光客が行くところは全部案内してもらった。
切手が有名なバミューダで切手を買って投函したり、英国風の大き目のティーカップにはテニスやクリケット、ゴルフやセーリング、ポロなどの図柄が描かれ、我々が買った夫婦カップは未だに日曜日の朝のコーヒーを美味しく頂かせてくれ、バミューダを懐かしく思い出させてくれる。パステルカラーのHamiltonの商店街ではグッと来るバミューダパンツは発見できず購入はしなかった。
我々が宿泊したホテルは、ネットのHPで見る限り(多分)、島で最も高いFairmont Southanpton Princess Hotel ではなかっただろうか。高い・・というのは、標高が高い(と言っても100mもないが・・)という事であり、ビーチには面していない大型のピンク色のホテルであった(と記憶している)。北側に開いた部屋の窓からは、入り江を越えて右手にHamiltonの街が遠望出来、左手にはゴルフコースが見えた。私達もクラブをレンタルしてノンビリラウンドしていたが、小学生くらいの小僧に追い抜かれてしまった。ネットで調べると今ではバミューダのリゾート施設の充実振りが目立つが、何もしなくてノンビリと海風に吹かれて寝転ぶのが最高かもしれない。
レストランの充実も素晴らしかった。私達はコンシェルジュの紹介で島で最高級のレストランの一つに大晦日の夜出かけた。味は・・・覚えてないが、雰囲気は素晴らしい。後で、少し古めのアメリカ映画の一場面でそのレストランが映ったと思うのだが、何の映画か覚えていない。事件物、アリバイ物みたいでNYからのフライトだった気がするが、白黒では無かったような・・・誰か教えてくれまいか?
もうすぐ深夜12時になる頃に、ほろ酔い加減で丘の上のホテルの部屋に帰り、窓を一杯に開け放った。爽やかな潮風が部屋に入って来て、入り江の微かな喧騒も聞こえる。Hamiltonの街の灯りと入り江に停泊する大小無数の船の灯り。多くの人が船の上で新年を迎えようとしているのであろう。その時、あちこちから歓声があがり、汽笛が繰り返し繰り返し入り江に響き渡った。
私達は、日本の夫々の家族に国際電話をかけた。今ならネットTVも可能であろうが、高額な電話だったが、美しい島の新年の雰囲気を是非伝えたかった。

翌朝、私達のホテルの玄関先に軽快なドラムのリズムが響いてきた。カラフルな仮装をしたGonbeyの祭りの集団だった。日本の獅子舞がホテルを巡る様にも似ているが、Boxing Day と New Year's Dayの二回しか観られない素晴らしくAfrican tasteの祭りで、旅の良い思いでになり非常にラッキーだった。
もう、当分はBermudaを訪れるチャンスは私には無いであろう。しかし、いつの日か再び訪れる時まであの美しい人々が居てくれればいいな・・・と願っている。
読んでくれてどうもありがとう。