murajun
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2006/12 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

トップページ

Doctors Blog

新着コメント

新着トラックバック

2006.12.15 21:00 |  スポーツ  |  murajun  | 推薦数 : 0

松坂を超える投手は・・

松坂大輔を甲子園からずっと見つめてきた・・と、RED SOXは繰り返し言った。

1億ドルをもの大金を松坂に賭けたのは、ゴールドマンサックスの幹部に同じ金額のボーナスを払うのより遥かに意義あることだ。オイ株屋め、俺の損した金返せ・・ 

 

松坂は確かに素晴らしい。全盛期のマダックスみたいだと思う。あれ以来、甲子園が子供の遊びに見えてしまうくらいだ。しかし一体、誰が「最高の投手」だったのだろうか?1970年より以前は全く記憶にないので、それ以降の話として私見を述べると、恐らく「1998年の松坂1973年の江川」だろう。ある投票ではダルビッシュが一位を獲得していたが、少なくとも高校時代の怪物度で言えば私は「江川が一番」だったと思う・・・

 

江川が超高校級と謳われ、県予選で途轍もないピッチング(5試合44イニングで無失点、被安打計2本、75奪三振、決勝戦を含めノーヒット・ノーラン三回)を演じて甲子園に登場したのは1973年の夏の大会だった・・・ 私は、ラッキーにも甲子園でその死闘を観戦した。今でもはっきり記憶している・・・

一本もヒットを打てないのではないかと完全劣勢を予想された柳川商(福岡)打線が見事に作新学園の江川に食らいついた。当時まだ珍しかった「プッシュ打法」でほぼ全てのバッターが繰り返し江川に挑んだ。延長15回、54打者中23人が三振を喫しはしたものの、バントの構えから投球のタイミングに合わせてバットを引き、コンパクトに振り抜く打法を徹底した結果、7本のヒット(うち1本が3塁打)を江川に浴びせ、6回表にこの夏初めての失点を江川に与え。結局、延長15回の末に柳川商は1対2でサヨナラ負けしたが、この善戦ぶりは強く印象に残った。特に、あまり書かれていないが、守備でピンチを迎えると長打力のない作新に粘り勝つために、センターの選手が松尾投手の斜め後ろに移動し、5人の内野手で再三ピンチを切り抜けた姿は子供心を揺さぶった。

怪物江川は次の銚子商業戦で雨中の延長戦の末、押し出しで敗れたが、柳川商との思いもかけぬ戦いが少なからず影響を与えたのであろう。甲子園の成績では大きく松坂に水を開けられているものの、高校時代の江川は怪物の称号が恥ずかしくないただ一人の怪物であったと思う。

松坂君・・・ずいぶん太ったね。ボストンは素敵な街だ、頑張れよ。

 

読んでくれてどうもありがとう。

固定リンク | コメント (0)

2006.12.15 18:33 |  その他(一般)  |  murajun  | 推薦数 : 1

道路は立派だが・・・

当院も田舎にあるとは言いながら、私鉄とJRの特急停車駅に挟まれ、その間を路線バスが繋いでいて、非常に便利が悪い訳ではない。車を使えば一時間以内に三つの空港に簡単に行けるし、最近も新たな道が完成したし、再来年には「高規格道路」というのが開通するし、廃線になった旧国鉄路線は立派な道に変身した。まさに、道路特定財源のつぎ込まれた車天国の地域とも言えなくはない。

しかし、困っている人が沢山居るのも確かであり、難しい問題が山積している。今日の患者さんは一しきり嘆いて帰っていかれた。車を運転しない独居高齢者が田舎には非常に多いが、こんな人たちにとっては道路なんて全く意味がなさそうであり、かえって窮状を招きかねない存在なのである。

田舎の開業医の立地は様々で、必ずしもバスや電車が利用できる位置にあるわけではない。最近では、利用者減少からバス路線の廃止が相次ぎ、自動車がないと通院困難になってしまった開業医も少なくない。新規移転になった病院も多くは広さを求めてバス路線からは離れてしまうケースもしばしばである。この場合、独居高齢者はどうするのだろうか?

今日の嘆きの老人は、血尿を気にして自宅から10km離れた泌尿器科を受診された。バスが利用できる5kmの当院に相談してくれればいいのにと思ったが、友人がそこへ行くというので付いて行った様だ。やや多くの検査が計画されたようで「僅かの異常」も見つかり、二回目以降は自分で通院する必要が出たが、そこの医院前を走っていたバスは最近廃止されてしまったらしく、タクシー代の往復7,600円は年金老人にはきついだろう。診察代や薬代も当然かかるし、病院によっては週に数回の通院を求める。「お金が足りずに通えない」と訴えると、「入院したら?」との返事で困惑して、30kmも離れた街の病院に代わったそうだ

??であるが、そこだと遠くてもバスと電車が利用でき、往復2,000円以内で済むそうだ。

 

人口が少ない田舎には、開業医に通うにも公共交通機関を全く利用出来ないエリアが広い。最寄の駅やバス停まで徒歩で行けない場合の方が多分多いだろう。すると、みんな車に乗るようになり、一家に3~4台なんてザラである。携帯電話の普及で公衆電話が無くなったように、自家用車が普及するとバスの本数は減り、利便性は無くなり、採算が合わずに廃止され、自動車に依存し別の路線も廃止されて行く。そうして本当にバスや電車しか利用出来ない老人達が取り残され、食費を抑えてまで病院に年金を叩いてタクシーを利用して通うことになる。当然お金が払えなくなり、保険料を滞納したり通院回数を減らしたり、薬を飲まなくなったり、病院に行けなくなったりしている。見ていて哀れになってくる。以前は田舎にも幸せな生活があったが、今では未来に希望はない。この場所ですらそうだから、本当の田舎の人々はどう感じているのだろうか? 

自動車しか頼るものが無くなった若い人は道路整備を希望し、叶わない場合には故郷を捨てて年老いた親を捨てて都会に出て行き、田畑も家屋も水路も荒れ果てていく。残された住民の希望を聞いてか聞かずか、立派な道路が次々に整備されていくが、人々は都市に買い物に出かけて行ってしまう悪循環が始まっている。都会にいるとバスが何台も連なり、傘を持たずに出かけられ便利この上ないし、持ち家さえあれば非常に安く生活も出来る。車なんて要らないしガソリン高騰も影響は少ない。私は田舎と都市の両方に生活拠点をもっているので、田舎の問題点を強く感じる。

少なくともこの地域では道路はこれ以上要らない。むかしの方が、バスや国鉄が多く存在し人々の生活を活性化していたし、暮らしやすく人口も多かった。道路を一本作るお金があるならバスをドンドン走らせて欲しい。20億の道路を作らずに、地域に必要なバスなどの移動手段を整備すれば、地方や地域は再生し環境も改善され、美しい国がたちまち甦ってくると感じる。

今日の患者さんを診察していたら、道路特定財源と、道州制と、人口減少と、地球温暖化などの問題を考えさせられてしまった。

 

読んでくれてどうもありがとう。

 

読んでくれてどうもありがとう。

固定リンク | コメント (0)

2006.12.15 01:48 |  旅行 / 宿  |  murajun  | 推薦数 : 0

ハンガリーの旅 (前編)

私が東欧ハンガリーを訪ねたのは、1990年8月のことでした。

まだ好奇心旺盛な独身貴族で、自由闊達で休日保障付の勤務医で 今では夢と成り果てた2週間連続の夏休みが堂々と貰えた頃です。先の11月に、「ベルリンの壁崩壊」の記事を書いた事がありますが、東ドイツからチェコに入るためのビザが取得出来なかった私は、東ベルリンからMALEVの飛行機でブダペストへ飛びました。当時の「地球の歩き方」によると、一番簡単に東欧のビザをもらえる方法がそれだったのです。エアロフロートのオンボロ機体は女子校生みたいなスチュワーデスを乗せてフラフラと南へと飛び立ちました。チャチな椅子は動くし、ビザなし予定なしの不安な旅でしたが、未知なる東欧諸国への期待は非常に大きかったのです。空港では確かにビザを簡単にもらえました。この「簡単に」というのが後ほど大問題を引き起こしましたが、この事はまた後日、「ルーマニアの旅」で書き残したいと思います。

 

空港からペスト地区へバスで入り、有料ホテル案内所へ向いました。例によって宿泊予約なんてしていませんでした。隣のルーマニアではチャウシェスク政権が倒されたとはいえまだ革命途中で、彼方此方で銃撃戦が時折行われていましたが、ここハンガリーは西側オーストリアと国境を接するので、一足早く西欧化し始めていました。ブダ地区の丘の上の王宮の横には豪華なHilton HotelやCasinoのネオンサインまでありましたが、貧乏な私はBuda Penta という大型ホテルに泊まりました。アメリカンタイプですね、味気ない安めのビジネス向けホテルでした。窓からは広い電車操車場が眺められ、鉄道好きな私には格好の場所ではありました。

実は旅人がたむろする有料ホテル案内所の前で、貧乏そうだが非常に可愛らしい少女が「自宅の部屋貸し」をしており熱心に「泊まってくれないか」と誘ってきました。ブダペスト市内から汽車で30分以上離れているらしい「白タクならぬ生活費稼ぎの民宿」だったようです。「美人局や売春婦か?」とまでは思いませんでしたが、言葉も通じにくい初めての東欧一人旅でしたから警戒心もあり、綺麗なブダペストの街を離れるのも惜しくなったので彼女の誘いを泣く泣く断りましたが、「庶民の生活も覗いて見たかった」と、ちょっと今でも後悔しています。

丘の上に輝く王宮や三越のモデルともなった美しいライオン像が鎮座する鎖橋をはじめ、ゆったりとしたドナウの流れは絵のように美しく、私は一日中時間を惜しんで街中を歩き回りました。ペスト地区の商店街の広場ではファッションショーが行われていましたが、周囲の建物には銃撃の痕が生々しく残っていました。

しかし、カジノまで存在するハンガリーには東欧の神秘性が感じにくく、長居は無用と考え、急いでルーマニアに入ることにしました。ただルーマニアの後に何処に行くかは決めていませんでした。調べてみると、ハンガリーから列車で国境を越えれば、ビザは即時発行されるだろう・・とのことだったからです。さっそく、ホテル近くの国鉄切符売り場に並びました。列は30番目位でしたが、そこはさすがに非効率な東欧だったようで、のろのろ進行で二時間も切符を買うのにかかってしまいました。

 

翌 8月25日、美しいターミナル駅であるブタペスト駅から夜行列車に乗り込みました。6人掛けのコンパートメントに8人が座り、みんな薄汚れた安っぽい服を着てアジア系マジャール人の顔をしたルーマニア人ばかりでした。全員が大きな荷物を持ち込んでいましたが、福岡と釜山間の様に 物資の買出しにでもハンガリーに来ていたのでしょう。私だけが大型スーツケースにナップサック姿で、さぞ極東日本の大金持ちに思われたことでしょう。ただ、あの人たちが日本を知っていたか否かは定かではありませんが・・・

手には夜行に備えて買い込んだ食料品をもって、汗臭い車内に潜り込みました。言葉が一切通じず、コマネチ風美人は車内に見当たらず、買い込んだパンやジュースは不味く、国境でビザがもらえるか不安を抱いての出発でした。列車が静かに走り出した時、やっと東欧の懐に飛び込んでいく実感が湧きました。ハンガリー側がずっと平野が広がり単調な列車の旅でしたが、日が暮れて疲れた頃にルーマニア国境の駅に到着し、銃を抱えた警官達が乗り込んできました。何故か、映画カサンドラクロスを思い出しました。警官達は驚くほど安いお金であっさりとビザを発給してくれました。しかし、この事が後で大きな誤解をもたらして困ってしまう羽目になったのです。コレも、後日書きたいと思います。

こうして神秘の国、コマネチの住む東欧ルーマニアに夜行列車で入った私でしたが、その後の行動予定は例によって全く決めていませんでした。私は、ぎゅうぎゅう詰めの座席で疲れて眠り込んでしまいました・・・

 

読んでくれてどうもありがとう。

固定リンク | コメント (0)