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今夜は、日本ハムの優勝について感想を書くべきであろうが、それは他の日本ハムや新庄選手のファンの人に譲って・・・・
正直なところ、まだ生きてたのか?と不謹慎にも思ったが、引退してまだ11年しかたたないらしい。プロレスラーの選手生命は非常に長いなと改めて感心している。
しかし、大木金太郎が「金 一」という名の韓国人だったとは今日までつゆぞ知らなかった。何しろ私が生まれた頃のプロレスデビューだし、あのころ在日朝鮮人だとか韓国人だとかは全く小学生には関係なかったし、いかにプロレスラーに外国籍の人が多かったといっても、アントニオ猪木がブラジル生まれだというくらいしか知らなかった。
大木金太郎が同郷の力道山に憧れて漁船で密入国したらしいが、その力道山は幼稚園のころ死んでしまったので、私にとっては「猪木か金太郎か」という位の大スターだった。小さいように思っていたが185cmもあったらしい。中学に入ってからはほとんど興味がなくなったが、小学生の時に見に行ったスポーツセンターの便所で、並んで小便したのが懐かしく思い出される(デカイ身体しか見なかったので顔が金太郎かは不確実なのだが・・・)。今なら、お客と一緒の便所は使わないだろうけど、大らかな時代だった・・・
見事な頭突きの後遺症からか、永年故郷の韓国で、首の障害と脳血管障害に悩まされていたらしい。
頭突きといえばもう一人、ボボ・ブラジルがいた。
私の故郷の言葉では「ボボ」とは、なんと子供にとっての秘境ともいうべき「せいこおい」を直接的に意味する極めて恥ずかしい隠語であったので、小学校では女子や女性教師の目の前で「ボボ・ブラジル~~」と叫びながら男の子同士で頭突きを喰らわすのが大流行であった。
しかし、片足を大きく掲げて頭を振り落とす大木の「原爆頭突き」の方が、美しさや完成度の上からも遥かに「格上」であり、少々「石頭」には自信のあった私は、毎日のように友人の頭をフラフラしながら攻撃していた。弱い者イジメとかではなく強い者にも向かっていく、完全な「プロレスごっこ」だったので学校で問題になることもなかった。しかし相手が降参するまで頭突きをしていた頃もあったので、今思えば危険極まりない遊びに興じていたものだと思う。
そのためか、私は中学受験の志望校をワンランク下げざるをえなかったし、40代なのに物忘れが気になって仕方がない。
大木金太郎とボボ・ブラジルがいなかったら、私は今頃東大医学部を出てどこかの教授になっていたかもしれない。開業医になったことに別に後悔はないけど、大木金太郎の晩年を見るにつけ、「頭突きは良くないな・・」と、今夜は大いに反省している。
今では、全く芸能人化したプロレスに興味はわかない。
しかし、今夜の新庄の涙にはジーンと来てしまった。大学病院から離れる決心をしたときのことを思い出してウルウルしてしまった。良くやったよ、あんたは!
読んでくれてどうもありがとう。
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