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小さくて、見難いですが、
うちの大事な怪獣が、トング(料理ばさみ)を持ち出し一人運動会。へっぴり腰なんか父親にそっくりで、ぼーりゅ(ボール)を掴み、3.4歩と進み出すと持ち手の注意力が無くなりポトリ。落としては掴んでを繰り返し、何故か嬉しそうに少しずつ調理場へ進んで行ったキャンプ地でのシーンです。
この怪獣、2歳をキャンプ地で迎えましたが、3週間の下痢続きに、キャンプ地の夜は鼻炎で苦しんだ。ちょうどその時刻に生まれ、誕生日の日プレゼントが、泣き止まないからと父親からのビンタ。憶えていない事を祈るばかりです。
お兄ちゃんの子育てが大変な時期は、大学病院勤務で関わる機会が少なかったので、手を上げた記憶は無いのですが、お姉ちゃんにの頭はパシッとやってしまったことが有ります。
去年の3月、家族内で風邪を引きピンポン感染が繰り返されましたが、お姉ちゃんはずっと元気でした。ある朝「私もあたまが痛いよー」との訴えに、『なにー、あたま?本当に痛いときだけ、痛いと言え!バン』 もちろん「え~ん!」と大泣きです。昼過ぎに妻から38℃の発熱と聞かされ、翌日近所の小児科受診でインフルエンザBと診断されちゃいまして…、いや~、本当に迷惑で勝手な親父だった。
当時うつ病の絶頂期で、子供たちの話を聴いてあげる余裕が無く、良く泣かしていました。家族との時間を過ごすために大学を離れ、楽しい日々を過ごす中で、仕事先では自分の信念と反する部分を変えてやると意気込み、何時の日かその思いを絶対的要求に造り上げてしまい、成就されないと判明したときガクッと来ちゃいましてね。ボーですわ。
うつ病の自分を認めたくなかったので、妻の忠告も聞かずに仕事場へフル出勤。週末の休みだけを見つめていましたが、そのうち子供たちを何処かに連れて行ってあげなきゃいけない事がプレッシャーになり、週末は子供たちの目を見る前に逃避的な狸寝入りを続けました。
憶えられないから仕事は進まないし、物事の論理立てが出来ないから、患者家族への説明もグチャグチャ。更なるトラブルに進展する前に辞めなくてはと思った瞬間でしたが、もうダメだと思った時にも、俺が居なくなったら一体どうなるのかとの思いが消えなくてねー。
幸い転地療法により寛解していますが、今は不真面目に「劣るとも勝らない」って感じで過ごしています。いま振り返ると、大学を辞めてその職場へ行く前もそこは動いていたし、掲げた望みが叶わずに一人落ち込んで去ったが、今もその現場は動いている。
「それ、聞いたことある。見たことある。やったことある。」ヒトは何事も経験と言う周囲からの借り物競争?で成長し、それぞれの経験には数段の差が有る。本疾病の罹患により、耳が口の2倍あることを私にも実感出来た気がしたが、この経験だけは誰にもお勧め出来ませんし繰り返したくない。
人生高望みは良いが、一人で絶対的要求に仕立て上げるべきではない。「君のために○○をしてあげているんだ!」とヒヒィ~ンってなるより、「君の意見と同じ/違う」程度にドウ・ドウ・ドウってな感じですかね。
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コメント
コメント一覧
せんせー、すごい。これ↑当時自覚できたんですか?
そうとう無理されてたんですね。
怪獣様をはじめとするお子様方のご多幸と、せんせご夫妻の愛情の細やかならんことをお祈り申し上げます。
当時、もの忘れの自覚までは十分でしたが、患者家族への説明は出来るものと思っていました。ところが話し始めると、忘れる筈が無い知識も思い出せず、『あちゃー、こりゃダメだわ』と、更にふか~い所に入り込み、病気が軽快したら記名力が回復するのか心配になりました。
物事の論理立てが出来ないから、グチャグチャな説明になるのは、今考えると当たり前の事ですね。患者家族にとっては、大変迷惑な行為でした。
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