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Nobeldagen part 2 >
drpion / 2007.12.10 18:43 / 推薦数 : 0
今日はNobeldagenです。
以前、スウエーデン語を勉強したときに、彼についての逸話を読む機会がありましたので、少しご紹介したいと思います。
Nobel-Alfred Nobelは1833年にストックホルムの貧しい家庭に生まれました。彼が数ヶ月のときに、家が焼け落ち、父親はセント・ペテルスブルグでエンジニアとしての職を得て単独でセント・ペテルスブルグへ渡りその後会社を立ち上げ、家族も移住しました。時にAlfredは9歳。ロシア語は彼の第二の母国語となったのでした。
父親はAlfredには化学や物理学を修めることを望み、Alfredが17歳のとき、液体ニトログリセリンの研究をしているパリの研究室へ送りこまれました。ニトログリセリンは非常に不安定な物質で、Alfredの兄弟を含めた多くの人が命を失いました。Alfredはより安定な物質を発明し、これをダイナマイトと命名しました。
彼は優れた研究者であるとともに、実業家でもあり、彼の死までに20の国々で90もの工場を持ち、355個のパテントを得ました。
彼は平和運動にも興味がありましたが、その彼に非常に大きな影響を与えた女性がいました。彼の秘書を短期間勤めた、Bertha Kinskyという女性で、彼女は平和運動におけるリーダーでもありました。Arfredは彼女こそが人生のパートナーだと思ったらしいのですが、彼女は他の男性と結婚してしまいました。しかしながら、Arfredの死後10年目にノーベル平和賞を受賞したことは、感慨深いものがあります。
彼女との別離のあと、Sofie Hessという女性が彼の愛人となり、彼女との関係は18年間続きましたが、彼女は彼に無心したり、不義を働いたりして良い関係とはいえず、最後には彼女は他の男性の子供をみごもって関係は終了しました。
1896年12月10日、心不全でイタリアで亡くなりましたが、最後に彼が話したスウエーデン語を理解できるものは誰一人としていなかったということです。
人生のパートナーにも恵まれず、Arfredには子供がなかったため、遺言により遺産はノーベル財団によって管理され、その利子により、毎年ノーベル賞を人類に貢献する5分野で授与することとなりました。彼の希望により、平和賞に関してはノルウエー政府にその決定を委ねることとされました。
最初のノーベル賞は1901年に授与され、その後1968年、経済学賞が「Riksbankens pris i ekonomisk vetenskap, till Alfred Nobels minne」という呼称で発足しました。この経済学賞については、ノーベル家では異論があるようですが、、、。
Nobel家はスコーネ地方が発祥で、もともとはOlofssonという苗字であったのを、Alfredのfarfars farfar(父親の父親の父親の父親)がNobelに変えたのだそうです。ですからもしかするとノーベル賞ではなく、オロフソン賞と呼ばれた可能性もあったのだとか、、、。
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