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Nobeldagen part 2

drpion / 2007.12.10 22:45 / 推薦数 : 0

Arfred Nobelの命日である12月10日には毎年、ノーベル賞の授賞式と晩餐会が行われます。授賞式はコンサートホール、晩餐会はストックホルム市庁舎にて。

 

晩餐会には毎年1200人ほどが招かれます。市庁舎の所謂「ブルーホール」で晩餐が供され、その後、「黄金の間」でダンスパーテイーが行われます。

最近、日本人の受賞が遠のいていますが、今年の晩餐会には、江崎博士ご夫妻が出席されています。江崎博士は、シルビア王妃の「rådgivare」をエスコートして会場への階段を下りてきました。

シルビア王妃のドレスは昨年に引き続き、日本のデザイナーのもの。今年は真っ赤なドレスです。皇太子のビクトリア王女、カールフィリップ王子、そして、世界で最も美しいプリンセスとも言われている、マンデレーヌ王女も今年は全員出席です。

 

実はノーベル賞100周年記念だった2001年の授賞式と晩餐会に出席したことがあります。

セキュリテイーチェックは流石に厳しくて、記名された招待状と身分証明書が入場には必要になります。

席順も印刷されています。中央の長いテーブルが、王族や受賞者の席になります。

 

 

2001年の中央のテーブル、国王や皇太子の近くには野依教授の名が。

 

 

たまたま当時のボスがノーベル医学・生理学賞の審査委員会にかかわっていたのと、日本人受賞者がいたということで、運良く出席できたのは一生の思い出です。夢のようなひとときでした。

そういえば、利根川先生の奥様が素敵な絞りの振袖をお召しになっていて、とても奇麗でした。

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Nobeldagen part 1

drpion / 2007.12.10 18:43 / 推薦数 : 0
今日はNobeldagenです。

以前、スウエーデン語を勉強したときに、彼についての逸話を読む機会がありましたので、少しご紹介したいと思います。

Nobel-Alfred Nobelは1833年にストックホルムの貧しい家庭に生まれました。彼が数ヶ月のときに、家が焼け落ち、父親はセント・ペテルスブルグでエンジニアとしての職を得て単独でセント・ペテルスブルグへ渡りその後会社を立ち上げ、家族も移住しました。時にAlfredは9歳。ロシア語は彼の第二の母国語となったのでした。

父親はAlfredには化学や物理学を修めることを望み、Alfredが17歳のとき、液体ニトログリセリンの研究をしているパリの研究室へ送りこまれました。ニトログリセリンは非常に不安定な物質で、Alfredの兄弟を含めた多くの人が命を失いました。Alfredはより安定な物質を発明し、これをダイナマイトと命名しました。

彼は優れた研究者であるとともに、実業家でもあり、彼の死までに20の国々で90もの工場を持ち、355個のパテントを得ました。

彼は平和運動にも興味がありましたが、その彼に非常に大きな影響を与えた女性がいました。彼の秘書を短期間勤めた、Bertha Kinskyという女性で、彼女は平和運動におけるリーダーでもありました。Arfredは彼女こそが人生のパートナーだと思ったらしいのですが、彼女は他の男性と結婚してしまいました。しかしながら、Arfredの死後10年目にノーベル平和賞を受賞したことは、感慨深いものがあります。

彼女との別離のあと、Sofie Hessという女性が彼の愛人となり、彼女との関係は18年間続きましたが、彼女は彼に無心したり、不義を働いたりして良い関係とはいえず、最後には彼女は他の男性の子供をみごもって関係は終了しました。

1896年12月10日、心不全でイタリアで亡くなりましたが、最後に彼が話したスウエーデン語を理解できるものは誰一人としていなかったということです。

人生のパートナーにも恵まれず、Arfredには子供がなかったため、遺言により遺産はノーベル財団によって管理され、その利子により、毎年ノーベル賞を人類に貢献する5分野で授与することとなりました。彼の希望により、平和賞に関してはノルウエー政府にその決定を委ねることとされました。

最初のノーベル賞は1901年に授与され、その後1968年、経済学賞が「Riksbankens pris i ekonomisk vetenskap, till Alfred Nobels minne」という呼称で発足しました。この経済学賞については、ノーベル家では異論があるようですが、、、。
Nobel家はスコーネ地方が発祥で、もともとはOlofssonという苗字であったのを、Alfredのfarfars farfar(父親の父親の父親の父親)がNobelに変えたのだそうです。ですからもしかするとノーベル賞ではなく、オロフソン賞と呼ばれた可能性もあったのだとか、、、。

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殺人者は医師になれるのか?

drpion / 2007.11.08 21:06 / 推薦数 : 0
昨日からカロリンスカを含めて世間を騒がせている話題。

今年の9月にカロリンスカへ医学生として入学してきた学生およそ120人の中に、過去に殺人を犯した人間がいるという。

彼は現在30歳。もともとナチストで、1999年にジャーナリストを殺した罪で収監。今年の2月に条件付で釈放されたばかり。当時の新聞記事はこちら。
http://www.expressen.se/1.187910

彼の罪状は殺人罪だけではないらしいのだが、刑の確定後苗字をHellekantからSvenssonへ変えている。獄中で勉学に励み、晴れてカロリンスカに合格した訳だが、一連の手続きの際彼は彼の過去については隠していた。最近匿名の告発文により彼の前科が明らかとなったのだが、カロリンスカとしても、過去の罪を償い、ひとたび医学生として入学を許可されたものの処置はできないということ。カロリンスカは医科大学のため、入学にあたっては心理学的インタビューが行われるなどしているのだが、彼はそれらをきちんとパスしていた。

スウエーデンでは例えばあらゆる暴力事件で立件され罪が確定した人間は警察官になれないとか、小児愛者は子供を扱う職業にはつけないなどの法律があるようだが、今回のようなケースについては規定がない。確かに規定のないものをカロリンスカがどうにかすることはできないかもしれないし、中には、「Alla ska få en andra chans」(全ての人が2度目のチャンスを得るべきだ。)と肯定的な人もいる。しかし、命を扱う医者が過去に殺人を、しかも過失でない殺人を犯していたとしたら、誰がその医者にかかりたいと思うのだろうか。そして、もし彼が将来何か間違いを犯したとしたら、誰が責任を取るというのだろうか。


日本では履歴書欄には必ず、「賞罰」の項がある。英語やスウエーデン語で履歴書を書くとき、確かにawardについては記載するが、punishmentについては考えたことがなかった。彼が前科に関して書かなかったことは、おそらく日本では故意と解釈されてその点で糾弾されるのだろうが、スウエーデンではそうではないのだろう。彼自身も医師になる意思があるようだし、本当にこのまま行くのだろうか???


カロリンスカでもローカルにはいろいろな意見があるようだ。だが、大方は批判的で、今や彼の名前も知れ渡ってしまっている。このままでは、卒業できたとしても研修医(AT läkare)として受け入れるところはないであろうし、そうであれば医師免許を取得できる可能性はない。彼自身のためにも、医師という選択は賢明ではないのではないだろうか。


更正のチャンスは当然与えられるべきである。
しかし、過失ではなく故意の殺人罪を犯したものが、人間の生命を扱う医者に、というのは疑問がどうしても残る。私は法律の専門家でないのでわからないが、日本では同様の判例はないのだろうか。

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同僚になぐさめられて

drpion / 2007.11.07 02:55 / 推薦数 : 0

先週は、、、私は医療の心においてのカルチャーショックが続き、胃に穴があきそうでした。

 

医師の守秘義務等があるため、詳細はご紹介できませんが、日本で、自己犠牲による患者さん第一の生活を送ってきた私に馴染めない出来事も多々ありました。

こんな環境でこれからやってゆけるのだろうか。
毎日悩みました。勿論、今も悩んでいます。


カロリンスカには沢山の移民医師、移民学生がいます。
私の所属する泌尿器科にも、何人か移民医師がいます。
そのうちの一人がST läkare(日本でいう専修医)のハッサン。
ちょっと恥ずかしがりやで、同じように恥ずかしがりやの私はほとんど彼とは話をしたことがありませんでした。

手術に向けて入院してくる患者さんの診察と不足分の説明、術前オーダーをする特別の外来がありますが、この外来を担当するようにエリックから指示が出ました。いきなりはできないので、ハッサンがやり方を教えてくれたのですが、その合間にいろいろとおしゃべりをしました。

彼はイラクから6年前にやってきました。
医学教育はイラクで受けてスウエーデンに逃亡。5年間の専門医としての勤務がないために、まずスウエーデン語の国家試験を受け、その後に医学の国家試験を受けたのだそうです。イラクではイギリス式の医学教育のため、勤務時間は長く、しかも、ボスが帰る前に部下は帰ってはいけないのだそうです。日本と全く同じです!!!

自己犠牲という点においても同じで、プライベートを重んじるスウエーデンとは全くメンタリテイーが異なるとのこと。では、ヨーロッパがそうなのかといえば、イギリスは勿論のこと、同じ同僚であるスイス人医師も同じように感じているそうなのです。これば北欧のメンタリテイー?それともスウエーデンの?

ハッサンの話で思わず涙が出そうになりました。

「話してくれてありがとう。私だけがこんなふうに感じているかと思ってたのよ。」
と彼に言いました。

それにしても、ハッサンのスウエーデン語はとっても上手なんです。しかも、国家試験は難しくないとかで、彼は天才なのかも。日本の話をしたら、日本の病院でも働いてみたいと言っていました。

とっつきにくいけれど、ハッサン、真面目だし、いい人です。

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5週目突入

drpion / 2007.10.22 21:06 / 推薦数 : 0
今週はお目付け役のエリックがフランスに住んでいる息子に会いに行ってしまったため不在です。

エリックがいないから勉強でもしようかなと思っていたら、朝から手術で人が足りないという話。待ってましたとばかりに、オペ室へ殴り込み(?)。

先週överläkare(指導医みたいなもの)になったばかりのイラン人のアビイと二人で、膀胱全摘、人工膀胱造設後の尿管狭窄の症例の手術。狭くなった尿管を切除して、人工膀胱につなぎ直すのですが、こういった非定型的な手術は難しい。しかも、開腹手術後の再開腹になるので、開腹するにも慎重を期しないと腸に切り込んでしまいます。こういう手術では殊に助手の役割も大きいのです。開腹すると案の定、腸管が塊になって癒着しているので、尿管を同定するために少しずつ剥離していきます。結果的にはうまくいった手術でした。

また隣の部屋で前立腺全摘後の尿失禁に対する人工括約筋造設の手術に、妊娠中のためレントゲンを使う手術には入れないカロリーナのかわりに参加しました。会陰部から膀胱頚部付近10時と2時方向へバルーンのついた装置を挿入します。これは日本では見たことがなかったのでとても楽しかったです。カロリンスカでは80%くらいの成功率なんだそうです。

そうこうしているうちに1時。午後のマリアンの外来に参加する予定になっていたので、サンドイッチを買ってかきこみ、急いで外来へ。彼女はendourologyを得意としているので、結石の患者さんが多い。いつものエリックの外来とはちょっと変わった趣。

4時15分より、ミーテイング。2003年からカロリンスカで行われたロボットによる膀胱全摘17例の臨床統計が提示されました。スウエーデンにしては延々と続きました。


疲れたけれど楽しい一日でありました。でも、ミーテイングは、、、やはり語学が辛い、、、、。

もっと勉強しなくては、、。

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またもやびっくり

drpion / 2007.10.19 22:54 / 推薦数 : 0
今日は4週目の最後の日です。

7時半ミーテイング、レントゲンカンファレンス、回診。

午前中は手術です。
2件目、またもやエリックのゴーサインが出ました。
おじいちゃんの内視鏡的膀胱癌切除術です。
尿管口が近く、注意しながら切除していきましたが、後ろからエリックが、
「もっと削れ。」と言ってきます。
膀胱癌の場合、膀胱壁に穴を開けないようにするのが鉄則で、カロリンスカで使っている器械が日本で使っていたものと違うので少しずつ切除していたら、
「Snälla!」(Please!)と催促されたので、最後は思いっきり切除しました。

エリックの患者さんだからエリックの好みに従ってしないとね。

おじいちゃんは明日退院の予定なのですが、、、。

泌尿器科の病棟は5階(日本で言う6階)の東病棟、西病棟に別れています。
それぞれ最大20床近くあるのですが、週末は東病棟だけに患者さんが集められ西は空にして勤務する看護師さんの数をコントロールしているようなんです。

このおじいちゃん、西病棟に入っていて、東へ移動の予定でした。
ところが、東病棟が満床。そこで急遽カロリンスカのHuddinge病院へ移動となってしまったのです。

例によって、手術後の観察病室にいるおじいちゃんにいきなり、
「うまくいったよ。明日尿道カテーテルを抜いて退院だけれど、ベッドがないから今日これからHuddingeへ行ってもらうことになるから。」
おじいちゃん、びっくり。
「Huddingeもいいところだよ。」
おじいちゃん、「それはそうだろうけど、、、。」


結局、計2人ほど患者さんを転院させることになり、、、私は何だか鳩が豆鉄砲という感じで、、
「ありえん。」

でも、一つ病棟を閉めた方が経済的なんでしょうか、、、。

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本日(2007年10月19日)付Metro紙。

SASが乗客、貨物の重量を決定するのに、来年度新たに体重計測をするという話題。(訂正:ごめんなさい。誤解を生む表現でした。「来年度新たに体重計測をし直して標準体重を決め直すという話題。」という趣旨です。)


現在SASが乗客の重量を決定するのに用いている数値は10年前のヨーロッパ人の体重。手荷物、コートを含めた男性の平均値は88kg、女性は70kg。10年の間に約3kgほど体重は増加しているため、予想値よりも重い乗客を乗せて機体は飛行する計算になります。

1990年代、アメリカでは平均5kgの体重増加を認めたため、燃料費は大幅に増加しました。極度の肥満者は2席分を支払う必要があり、これは差別だとの議論も。スウエーデンではアメリカほどの肥満者は見かけませんが、、。

 

これ、かなり笑えます。単純に笑っていただきたいです。


海外に住んでいると、日本へ帰国して海外へ戻る際、沢山のものを持ち帰りたくなります。以前は機内持ち込みの液体の量も制限がなかったため、梅酒や日本酒などは手荷物にしましたが、今ではそうはいきません。破損を覚悟でチェックインの荷物に入れると、当然重くなります。今までに重量オーバーでひっかかったことが数回ありますが、そのたびに、2mもの身長があって重そうな北欧人を横目に見ながら、

「どうして数キロの重量オーバーで超過料金を払わなきゃいけないの!体重が軽い分、大目に見てよ!」と言いたい気持ちで一杯になります。決して私が痩せていて軽い訳じゃないのですが、あの巨人に比べたらね、、。スウエーデン人男性の平均身長は優に180cmを超えるんですよ。(決してdiscriminationで発言している訳じゃありません。)

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人生で最も難しいこと

drpion / 2007.10.18 04:29 / 推薦数 : 0
今日の午前中はエリックの外来でした。

外来の最後に、前立腺癌で既に手術の日程が決まった患者さんがやってきました。

外来主治医の説明に納得していないのと、手術の日程が思いがけず早かったので心の準備が出来ていない様子。

74歳男性。PSAが20台ということで(スウエーデンの正常値は3以下)、前立腺生検を受けたところ、8つのサンプルのうち3つにグリソンスコア3+4の癌が見つかり受診。前立腺のサイズが150mlと非常に大きいため、小線源治療は無理と判断され、手術か待機療法の選択を提示されました。

奥さんと来院した彼は、手術の合併症について質問。尿失禁、EDについて説明されました。

「全く症状がないのにどうして手術を受けなければいけないのか。」と、素人にありがちな質問。

エリックに、「このタイプの癌で10年以内に死亡する可能性は30%くらいあるよ。」と言われてますます混乱。常に助けを求めるように奥さんの顔を見ています。エリックは、「自分のことなんだから自分で決めなきゃ。奥さんは助けてくれるかもしれないけれど、決定はできないよ。」とさとします。一方の奥さんは、「私は乳癌になったけれど、手術で全部取ったのよ。」と太っ腹。

患者さん、とうとう伝家の宝刀を持ち出しました。「もしあなたが私の立場だったら、どうしますか?」

通常、外科医は手術よりの考え方をするので、どうしても患者さんへの話もそういう方向へ向かう傾向があります。そして、外科医自身が病気になったとき、放射線治療や化学療法などより、手術療法を選択することも良くあります。そんな先入観で話を聞いていたら、

「私はあなたの立場になることはないから、わからないよ。」と想像もしなかった答え。
エリックは50代だと思われますが、PSAを測ったことがないんですって。そして今後も測るつもりがない、、、。理由は、、「手術なんて受けない。」方針だから。

東京で働いていたとき、上司であった教授がそんなでした。ヘビースモーカー、大酒飲み、不摂生と何拍子も揃っているのですが、「癌になったら無治療で死んでやる。」ということでした。でも、緩和治療はしてほしいとか。

几帳面なエリックがそうであるとは、ちょっとびっくり。

最後に、「統計は統計に過ぎないから、本当はあまり役に立たないよ。10年後にどうなっているかなんて、誰もわからないんだから。」

そして、「自分のことは自分で決めなきゃね。」って。


私も人生の中で何回か難しい選択を迫られる状況に追い込まれたことがあります。
そのときに思ったことは、

「決断することは人生で最も難しいことである。」


結局、この患者さん、決断はペンデイングとなりました、、、、。

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ヤッホー!!!

drpion / 2007.10.17 04:29 / 推薦数 : 0
今日も朝から手術が続きます。

突然エリックが、
「次の手術、やってみる?」と聞いてきました。
あまりに唐突だったので、あっけにとられていると、もう一度聞いてきたので、
「もちろん!!!」と答えて、一人で手術をすることになりました。

50歳の女性の膀胱癌の内視鏡手術ですから、大きな手術ではありません。
それでも、自分がレジデントの頃に戻った気分になって、きれいに切除しました。

「手術記録、dictationしておいてね。」とエリック。
dictationの方が大仕事だと言ったら笑われました。スウエーデン語で手術記事なんて書いたことないから、、、。

術後経過は非常によろしく、血尿も全くなかったため、夕方には尿道カテーテルを抜いて退院とあいなりました。

こんな小さなことですが、、、ヤッホーと言わせて下さい。
お粗末さまでした。

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おそるべし

drpion / 2007.10.16 21:15 / 推薦数 : 0
本日も7時半集合。ミーテイング、レントゲンカンファレンス、回診。

泌尿器科の今日の手術は、、、、
ロボット前立腺全摘4件、膀胱全摘1件、これに小さな手術が数件。
日本の前の病院も手術が多かったけれど、ここはすごすぎます。
しかもそれを30床程度で回しているんですから。

昨日の前立腺全摘の患者さんは、、、術後1日目の今日、すでにドレーンを抜去し、普通のごはんを食べています。明日には退院の勢いです。

経尿道内視鏡手術の患者さんは、基本的には当日入院。
翌日は尿道カテーテルを抜去し午後には退院します。

私は喘息発作で一度カロリンスカに入院した経験がありますが、最初の診察料250クローネを払い、あとは入院費など一切かかりませんでした。故に、入院が長くなればそれだけ費用がかかるということになりますから、この在院日数の短さも納得します。

インフォームドコンセントやセカンドオピニオンという言葉はまだまだ市民権を得ていないスウエーデンだからこそ、これでうまくいっているんでしょうか。

治験にしても、医師のいいなりといった感じです。

「これは良い治療なんですか?」
「いいですよ。」

これだけで納得する患者さんが多い。


今日のエリックの外来でも、こんなことが、、、。

20代前半の若者。陰茎の組織球症という非常に珍しい診断で来院。
病変は数ミリの小さなもので、紹介してきた血液内科医は切除を依頼してきました。
ところが、本人はそんなことは理解しておらず、、
「折角だから今日切っちゃいましょう。」という言葉に、、
がーん。ショックを隠せない様子でした。
「どうする?傷はすぐなおるけど、数週間はエッチは出来ないよ。」
「。。。。。。。。」
「考えてから来る?」
結局、同じことだから今日やりますという返事。

「じゃあ、今から準備するから。」言われて、
ひとり、しょぼんとうなだれて廊下で待っています。
なんだかとても可哀想。

こんな風にして、一回まないたの上に乗せられたにも関わらず、結局、電気メスの器材がどうしても間に合わず、来月ということになったのでした。

医師の方は前言撤回でも非常にドライです。
「自分のせいじゃないもんね。」って感じ。

エリックの名誉のために付け加えますが、彼はとても良い人です。
これがスウエーデンでは普通なだけ。

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