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今このときに「冬の旅」を歌うということ

 この大きな哀しみに覆われた年に、あえてシューベルトの「冬の旅」を歌う意味を考えてみました。「冬の旅」は今でこそシューベルトの600曲とも言われる歌曲のなかの最高傑作といわれています。しかし、シューベルトが最初に友人たちに弾きうたいで聞かせたとき、歌の暗さに友人たちは言葉もなく、唯一「菩提樹」だけが評価されたのでした。このときシューベルトは、そのうちみんなにもこの歌の良さがわかると自信をもって語っています。

 この歌を歌うことは、ドイツリートを歌う男声は誰しも望む夢でしょう。私は20歳頃から歌のレッスンを受け始め「30歳になったら冬の旅」という目標がありました。しかし、大学を卒業し医師の道を歩み始めてからは、演奏会はおろか練習さえできない状況が約10年続きました。15年ほど前から練習を再開、7年前に浅田さんとお会いして、6年前にシューベルティアーデを始めました。毎年約20曲のシューベルトを歌い重ねて、今年7年目の年に是非「冬の旅」をと考え、浅田さんと決めたのは、昨年の9月末でした。私にとっては30年来の夢の20年遅れの実現、という意味がありました。

 そういう意味があるにしても、一般的には暗いイメージのあるこの曲集をこの年に歌うことで、人々に勇気や希望を持ってもらえるのだろうか。この半年考えてきました。

 今、目の前のスピーカーからはミシェル・コルボのバッハト短調ミサが流れています。コルボのロ短調は10年前愛知県コンサートホールで実演を聴きました。Kyrieの入りの合唱を聴いたとたん、魂を揺さぶられる思いをしました。バッハには哀しみにうちひしがれた魂を癒す力を感じます。対象は個人より多くの人たち向けてという印象です。

 シューベルトはどうでしょう。彼自身が自分の歌に関してこう語っています。

〜 私が愛を歌うと哀しみになり、哀しみを歌うと愛になった〜

 私がシューベルトを歌うと、詩の内容を超え、音楽そのものに彼の哀しみと優しさ・・それを愛と呼ぶのでしょうか・・を感じ、哀しみを超えた安らぎと歌うことの至福を感じます。これがシューベルトが言う「哀しみを歌うと、愛になった」感覚ではないでしょうか。この感覚・感情を、皆様と共有できれば、シューベルトはバッハとは違った癒しを私たちにもたらしてくれるのではないかと思えてきました。

今私が浅田さんと歌う「冬の旅」は作曲者本人が思った歌い方や声ではないかもしれない。しかし、時空を超えて私はシューベルトと確かに出会い、ピアニスト浅田豊さんと出会い、7年歌い継いできて、とうとうここにたどり着きました。この曲を皆様の前で今年、歌うことになったことは、おそらく偶然ではなく、必然だと思うのです。今の私と浅田さんだからこそ歌える「冬の旅」があると思います。

だから私は今年、「冬の旅」を歌います。

 「冬の旅」は祝福されて結婚まで約束した女性と別れ、傷心の旅に出る青年の心と、冬のヨーロッパの風景が心象風景となって迫ってきます。確かに暗く、悲しい曲です。しかし私はその随所に生きている青年の魂を生き生きと感じます。最後の「辻音楽師」の、まさに最後の歌い終わりに、私は希望の光を見ています。

 私たちの「冬の旅」は今の哀しみをもうけとめ、そして未来に対するほのかな希望を秘めて皆様の前に現れるものと信じています。どうか、皆様も今の様々な皆様それぞれの心、魂のあり方で聴いていただければ幸いです。

2011911日 自宅にて            揚妻広隆
 

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