今回のシューベルティアーデのメイン曲、Novalisの詩につけた6曲。
Marie(マリア)
Hymne I〜IV(讃歌I~IV)
そして
Nachthymne(夜の讃歌)
実際の詩集では配列に関して様々な意見があるようです。というのも、この詩集は1799年の夏から-1800年の夏にかけて、徐々に作られ、生前に公表されなかったものであること。手稿も完全には残っていないと言うことだ。全部で14または15篇が一つの詩集と考えられているが、この15編のなかでは7番目、14編では除外されている曲がシューベルトのHymne(賛美歌)ではHymneI となっている。この詩は聖歌と名付けられているが、最新の沖積社のノヴァーリス全集では、賛美歌から外されて別の項に別個に納められている。
シューベルトがなぜ、この15曲の賛美歌から4曲だけを選んでそれも讃歌 I~IVとまで名前をつけたのだろう?いや、ひょっとすると、そういう番号はついていないのかも知れない。というのも、現在も編纂中のシューベルト歌曲全集のなかではMarieも含めてGeitliches Liedという名前がつけられているのだ。Marie,HymneI~IVは確かにDでも連番になっておりD658-662と、続けて作られたことを物語っている。
「聖歌」がなぜ賛美歌と違うと研究家が判断するのか?その内容にあるかも知れない。当日配る浅田さんに書いていただいた曲説明を参考にあげる。
「愛の秘密を知っているものは少ない。
そして聖体拝領の意味は
地上の思考にとっては謎だ。
しかし恋人の口から生の息吹を吸ったものは
永遠にキリストの体を食べ、
彼の血を飲むだろう。
そしていつか、
すべての体はただ唯一の体となる」
単にNovalisが宗教的に敬虔な詩を書き、それにシューベルトがつけた曲と言うことではなく、これらの詩と歌に、何らかの霊性が宿っていると思わざるを得ない。それほどほかのシューベルトの曲とは異なる。Novalisが詩を書いたときと、またその詩を読んでシューベルトが曲を作ったときに、何かが働いたと感じる。
その感じを、どうやって歌ったらわかってもらえるだろうか?
何度も練習して、その録音を聞いてみているが、自らの感じたNovalis/Schubertになかなかたどり着けていない。今週ピアニストの浅田さんが日本にいらして、23日の休みに合わせをする。彼のピアノで歌うと、いつも発見がある。何か今回も発見して、わたし自身が変わって本番に向かいたいと思う。
今回の詩の内容自体が、まだ まだわたしにとっては謎だ。
わたしの「地上の思考」の一員だからか。
シューベルトの音楽が、理論ではなく感覚からNovalisに近づけてくれている。まずは歌うこと・・・とかんがえ本番前1週間を過ごそう。
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