愛知教育大学附属岡崎中学校
この学校は、私の母校でもあり、私の3人の息子のうち上の二人の母校である。今でこそ、受験戦争の波に影響され、その独自性を以前よりも弱くしているが、それでもほかの中学校とは一線を画した独自の教育を行っている。繰り返すが、絶対評価による高校入試となってからそれにあうような教育をと副校長(だいたい、ここは校長先生が非常に穏やかな学者さん、副校長が政治家という図)が方針転換をしてだんだん普通の中学に成り下がりつつあるのが残念だ。(言い過ぎたかもしれません、すみません、思いの丈がこういう言葉になったということで)
そこで追求学習というものが行われていた。プロジェクトと常にはいわれており、1年目にはiProject(自分を見つめ、自分興味のある大人ーたとえば映画監督とか作家を研究史、その人に手紙などで連絡をつけ、会いに行くなど・・・)、2年目は学年でテーマを持ちそのテーマに関わるキャンプを行う(長男のときは大島ダムに埋もれる村の取材と、水がどれだけ大切かを実感するサバイバルキャンプ・・・私は付き添い医として参加、最終日は大討論会)、3年目は集大成としてさらに広い範囲(全国)で、グループごとに計画を立て、人に会い体験してくる・・・そうして自分を見つめ、社会と関わることで、科目学習とは異なる真の力になる学習を行っているのがこの学校の特徴だ。2001年6/30このiProjectの元になるべく、いろんな職業に就いた人たちの話を聞き、自分たちのテーマを考えるという講演会の講師を頼まれた。講師はほかには障害者の福祉施設の理事長(残念だがこの人は最近横領で逮捕された)、シャンソン歌手、FMラジオのパーソナリティー、スポーツ指導者など・・・それぞれ2回同じはなしをし、生徒は2カ所にいきたいところを選んで聞いて回る形だった。そこで話した内容・・・今の私の気持ちに合致しているので、転載します。
長文ですがよろしければお読みください。
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心豊かに生きると言うこと
〜どこまでひとの悲しみ・喜びに共感できるか〜
昨年当時二年生の息子の追求キャンプに付き添い医師として同行させてもらい、またその後息子の同級生から音楽を患者さんの前で演奏する立場としてのインタビューを受けたりする中で、私自身として附属中学の追求活動への興味と理解が次第に深まってきていたことは確かです。しかし、いざ、自分の生き方に関しての話をしてほしいといわれてまともなことが話せるかと考えると、正直、心配です。今回、私が先生から依頼を受けたとき、「医者として?」それとも「音楽家として?」と自問しました。そして自分にとっての、医者という仕事、音楽家という立場を見つめ直し、そこに共通点を見いだすことが出来たので、ようやくお話しすることが出来るようになったと安心しました。今日は、医者と音楽家と両面を持つ一個の人間としてお話ししたいと思います。
<医師としての自分>
現在、トヨタ記念病院循環器科部長で、外来、入院患者さんを診させていただくこと、そして、心臓エコー・運動負荷試験・冠動脈造影検査といった専門領域の検査治療のほか、科部長としての回診・総勢6名になる循環器医師の統括を行っています。
また趣味でパソコン(これはマッキントッシュが主ですけれど)が好きなのが関係して、本年実験的施行予定の経済産業省のIT実験事業=簡単に言えば電子カルテと、地域医療連携の試み=の医者側の担当者になっています。
仕事のやりがいと言われますと、やはり生命にかかわることを扱う医者の仕事の中でも循環器科は一刻の時間を争う分野になります。それだけにじっと考えてから行動するのでなく、考えながら行動しつつ、行動しながら現在の反応を評価して次に何が起こりうるか、それを防ぐにはどうすべきかをリアルタイム(?)に考えて行動しなけ ればならないという点で、適性というものをいやがおうにも痛感する仕事です。患者さんの生死にかかわる場面で一番頼られ、やりがいがあり、誇りを持ってやっていける仕事です。それに適性があると自負しているわけですから、緊急時ほどやる気と元気が出てきます。こうしたことは言葉で言ってもなかなか伝わらないので、もしできたら実際に見ていただきたいのですが、それは緊急時のたとえば救急車で運び込まれた重症患者さんの心肺停止時の蘇生、急性心筋梗塞時の緊急カテーテル検査におけるチーム医療などです。緊急時は真夜中に呼び出されることも年に数十回程度あり、一度呼び出されると数時間かかって、カテーテルを介してつまった血管に溶かす薬をながして開通させたり、風船で狭い血管をふくらませたりして、患者さんを救うのですが、入院した後の点滴などの指示を出し、ようやくの思いで帰宅し1-2時間仮眠を取った後、明けて通常の業務をしなければならないという点では、いわゆる医療の中でも最近の若い研修医いわく、3K(きつい、きたない、きけん)ともいえる仕事です。しかし、そこで全力でがんばると、心筋梗塞の場合後は放って置いてもと言うと言いすぎですが、患者さんは自力で快方に向かっていきます。血管が詰まったままで翌日治療していては心筋が腐ってしまい、手遅れになってしまうのですからどうしても発症なるべく早くに対処しなくてはならないのです。
そうした医学的な充実感もありますが、同時にこうした中でも、必ず体や心に痛みを感じる患者さんやご家族の方たちとの交流があるのも心の支えになっているのです。時間が無いので、この仕事を選ぶに至る経緯は十分にはお話できませんが、人にかかわる、人のためになる仕事をしたいということでは、間違いは無かったと考えています。
私は卒後1年間は、栄のセントラル病院というアメリカ留学帰りの40代前半のドクターたちが協力して設立間もない病院で研修しました。アメリカタイプのOpen Systemの病院で中堅ドクターの新しいものを作っていくんだという気概を随所に感じました。アメリカ仕立てのカンファレンスは非常に面白く刺激があり沢山の洋書を買い込み読み漁りました。数年は何でも見られる医師(general physician)をめざそうと考え、将来的には小児科を考えていました。外来部門は近くのエスエルドクターグループというのが医者のデパートというのを作って行っており、我々病院のほうは入院患者さんと救急車だけを見るものでした。こういうシステムは現行の保険制度にはなじまず(外来が無いということは薬代での収入が無いということです)数年後に閉鎖されました。この年の9月末に大学時代から数年間も付き合っていて当時名古屋大学病院のナースであった妻と結婚しました。この病院のもう一つの特徴は「医者はハイブリッドでなくては」という方針で名古屋大学は私一人、愛知医大、名市大、保健衛生はもとより、札幌医大、福井医大、千葉大など全国から研修医を公募していました。さらに当時では珍しい国内、外の研修を認めており、産科は1ヶ月で200人もの子供を取り上げる沖縄、胃カメラ修行に東京、さらに私の入った年からバッファロー大学に研修するコースもできました。
しかし、二年目に大学から浜松医療センターというところで二年目の研修医が必要なので行かないかと話があり、請われれば自分のチャンスと考え、話しに乗るべきというのがその当時の私の考えでしたので、妻は名大病院を辞め一緒に転勤しました。浜松での1年目は循環器研修医として勤務し、そのまま翌年からスタッフとなり、当初の意思とは違って循環器の訓練を受け、循環器の専門医として歩んでいくことになりました。
私の医者としての考え方にかかわるこの病院での経験をお話しましょう。循環器には心筋梗塞などの急性期に患者さんが入院する専門病棟があってCCU(冠疾患集中治療室)といいます。このCCUは激務の場ですから、ちょっとした思い違いや、疲れからのミスがあります。最近、医療事故とか言って、世の中がこうしたミスを非難する傾向が強まり、病院はリスクマネージメント、最近はセーフティーマネージメントと言って自己(事故?)防衛のシステムを作っていますが、残念なことにヒューマンエラーを許さない潮流になってきています。しかし、人間はミスをするものです。すべてわかっている問題の試験を受けても凡ミスで満点を取れないこともあることと同じように。ミスをどれだけ未然に防ぐかと同時に、ミスをした場合に前向きに解決して同じ事を繰り返す事の無いようにすることが大切です。数年浜松で勤務し、私が病院を替わることになって、送別会を病棟で開いてくれた日のこと、CCUで中堅の看護婦さんが、私のところに来て、新人看護婦の頃、ミスをしたときに先生に怒鳴られるのではなく、やさしく受け止めてもらえた事で私は助かりましたと泣きながら言われたとき、こうした事が大切なのだと実感したのです。もちろん失敗が生命に直接かかわることもありますので、そうした重大なミスにつながるときは強く注意をします。でも何を目的として注意するかということが、問題であると思います。どうしてミスが起こったか、ミスをした側の背景はどんなか(過労、精神的問題など)、そのミスによって患者さんはどういう被害があったか、それを行ったことを本人はどう感じて、どうしようと思っているか。相手の将来の成長を期待する場合、やはり頭ごなしのしかりかたでなく仕方があると思うのです。これは方法論ではなく、考え方・人に対する信頼感を持っているかどうかの問題です。
<若い皆さんに期待すること・・・今の社会に思うこと>
次に申し上げたいことは、おそらく今日の本論のひとつでもありますが、「感受性」を大切にということです。
もう一つ浜松での話で申し訳ありませんが、CCUに心不全でよく入院してくる患者さんがいました。初老の女性で、正直言ってかなり自己中心的でわがままな人でした。その患者が少し治療で改善してHCUという中間病室に移ったとき、患者が訴えたことに対し、あるナースが非常にきつい口調で人前で非難したとの事、詳しい内容はわすれましたがひどく傷つく言葉だったようです。その後、患者さんの回診でこのことを聞き(患者は悔しさで泣いていました)、病棟主任も呼んで、このナースにお話ししたことがあります。そのナースは非常に技術的には優秀でしたが、人との接し方について以前から気になっていました。このときも重症病棟で患者さんが食事のことか何かでわがままを言ったことを、相手の状況も考えず非難した様です。このことで、患者は食欲が落ち病状は悪化しました。そのことも、このナースは気にしていなかったようで、このことを私は重視しました。患者さんは弱者です。通常より数倍神経質になり、自分の現在の病状、将来の展望に自信が持てず不安定な状態になっているのです。その状態を感じ取れるかどうか、さらに自分の言葉でどう傷ついたかを感じられるかどうか、それが医療従事者として大切なことで、このナースには欠けているのではないかと感じたのです。元の患者さんのわがままは置いておいて、自分が患者に言ったことが相手にどう伝わったかを感じることができればこんなことにはならなかった。その点を強くお話したのです。幸いその後このナースはこの言葉を理解してくれたのか、患者に対する接し方がかなり変わりました。人の気持ち、気持ちの動きがわかり、共感し、同じ場所にいられる人間になれるか、これが現在の医療従事者、そればかりでなく日本人に求められているのではないでしょうか。正直申し上げて後輩の若い医師の中にも少なからずこうした人の気持ちに対する「不感症」があり、困ることが多いのです。
また、突飛なようですが、昨今話題になっている近隣のアジア諸国との「教科書問題」も同じ根っこです。少し話題がそれますが、これを深めるため、私が最近読んで共鳴した「戦争と罪責」という本についてお話しします。精神科医師が戦時中に人間として許されるべきでない行為を、医師(軍医)の立場で行ってきた人たちとのインタビューを通して、当時の「不感症」状態を自覚し、後に被害者の家族たちとの面談などを通じて自らの非を認めることで、人間らしい心を取り戻していく過程を筆者独特の人間愛に満ちた、しかし論理的な思考で語っています。
我々の先輩である医師たちは戦争中人を救うことばかりでなく、軍医として医療技術や教育上必要があると理由付けて、中国人の捕虜などを日常的に人体実験で殺していたという事実があるのです。そうした中でも有名なのは、森村誠一が「悪魔の飽食」で摘発した731部隊というものですが、この本は確か私の大学時代に発刊されて衝撃をこめて読んだ記憶がありますが、そういう特別なものでなく一般的になされていたということを知り、改めてショックを受けました。みなさんにも是非読んでいただきたい本です。最近「新しい教科書」問題が出ていますが、日本人が自分の国や民族に誇りが持てるようにするには、行ってきた過ちを隠してよい面だけを強調するという「作る会」の理論ではなく、実際に起こったことの真実を追究するため、行ったひと・受けた人たちと会い、聴き、まとめ、真実を理解し、被害者の悲しみを感じ、自らを反省したうえで前に進むということが、切に必要だと思います。真実を求め、過ちがあれば自ら認めて反省するという自分がいてこそ、誇りが持てるのです。皆さんも自分の生活に当てはめたら判ると思います。ドイツではヒトラーの行ってきたことについて当事者ばかりでなく旧ナチスの子供たちの世代が、強制収容所に入れられて辛うじて生還したユダヤ人の子供たちと会って、話し合う機会が持たれていると言うことです。その中で、加害者と被害者の子供たちが相手の苦しみを理解し、悲しみと後悔に涙し、しかし、これからの時代を共に歩もうとする意志を持つようになったと聞き、感激しました。加害者の子供たちもやはりナチスの子として心に深い傷を負っていたのです。臭いものにふたをし、過去のことは問わずと言うのはひとを許すという意味では言えても、自分自身には言ってはいけないことでしょう。真の民族の誇りは潔く非を認め、傷つけた人たちのことに心を致して深く心を痛め、その上で今後の改善をしていこうという強い意志があって初めて生まれるものではないでしょうか?こうした国民こそ真に誇りを持てるのだと思うのです。
そうした意味においても、わたしは、医者として、人間として、日本人として豊かな感情を持ちひとに共感することが大切だと考えるのです。ではどうしたら、豊かな感情を持ち、人に共感することができるようになるのでしょうか? これはむやみやたらとがんばって訓練すればできることではないようです。先ほどあげた患者さんやスタッフとの人間関係を結ぶ上で困難を感じるように思われる若手医師の中には、青春時代を心豊かに過ごしてこなかったのではないかと思われるふしが沢山あります。つまり若い頃からの生き方、経験、なかでも心の奥まで揺さぶられる経験をどれだけしてきているかが鍵のように思えるのです。友達関係、親子関係、読書や映画、そしてもちろん恋愛など。いろんな場面で、ひとの言葉や行動に驚き、感激し、怒り、その中で相手がどうしてこうしたことを言ったりしたりするのかを少しでも考えるように、いや考えるのでなく、心の底で感じるようにしていくことはやはり大切ではないかと思います。多感なはずの青春時代真っ只中の皆さんは、ぜひ沢山の体験をする中で、共感ということを意識して生きていってほしいのです。どれだけ人の悲しみ、喜びを共感して自分の喜び・悲しみにできるか、ということは、医師としての私、趣味の歌を歌う音楽家としての私、そして人間としての私にとって大切な一生のテーマだと思います。
さて、こうした場でお話するのは自分の考えだけでなく実際の青春時代の経験をお話したほうがいいのだと思いますが、時間がいくらあっても足りません。そこで、医者として考えていくのと同時に、私としては表裏一体となっている音楽家としての活動に関してお話しておこうと思います。病院のコンサートでお話するときは、「医者もできるバリトン歌手」と私は冗談交じりで自己紹介しているほど、私の音楽家としての自分も、大切なものです。
<音楽家として>
私が音楽というものに興味を持ち始めたのは中学時代からです。小学校時代はアパートの4階にある自宅に忘れ物をして大声で母を呼んだことが数々あったことが災いして声帯をいため耳鼻科に通う日々で、声が出ないので歌は大嫌い、オルガンも習うのを途中で止めてしまい楽譜も読めないということで音楽は大の苦手でした。中学にはいり、ピアノが上手な友人に誘われていやいや岡崎に来たNHK交響楽団の演奏会を聞きました。ここでベートーベンの第九と出会いました。その日は有名なバリトン歌手が病気で替わりの栗林というバリトン歌手でしたが、そのおお友よ!の歌いだしの声の声量と迫力に圧倒されました。附属中学ではコンクールの季節だけコーラス部員になって歌いました。またクラシックギターに興味を持ち、「禁じられた遊び」が弾けるようになり、音楽の時間に先生が披露の機会を作ってくれたのは嬉しかったです。
高校に入って、コーラス部に誘われ、入部。このとき今もお付き合いしている合唱きちがいとも言うべき先輩に出会い、触発され、中学時代バスケ、野球、柔道などのスポーツをバリバリやっていた仲間を合唱に引っ張り込み、まさにはまりました。学生指揮者にもなり、大勢の人たちの心と声をまとめることの難しさと喜びを経験しました。クラシック音楽も大好きになりフルトベングラー指揮のベートーベン第九をはじめ、ベートーベン、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、モーツアルトなどの主として交響曲やピアノ協奏曲に心酔しました。1年の浪人期間を経て、大学にはいり、医学部混声合唱団に入部、3年目には指揮経験もしました。ここでの経験をお話するにはもう一時間あっても足りませんが、単に音楽だけでなく、同じ医療を目指す検査技師・看護婦・放射線技師学校の仲間たちと音楽を作ったり活動していくという共同作業を行い、また、教育、身障者に目を 向けた創作活動(新しい曲を作り演奏会で演奏する)を行い、社会への目を広げることができたと思います。この合唱団のボイストレーナーとして来て頂いている国立音大出身の広江吉信先生のお宅に定期的にレッスンを受けに行くようになり、ソリストとしての研鑚を積むようになりました。
就職後一時休み、友人の結婚式の余興で歌う程度でしたが、1995年、先の合唱きちがいの先輩が主催した、モーツアルトスペシャルコンサートと銘打った演奏会に出演。愛知県芸術劇場コンサートホールで、オケをバックにモーツアルトのオペラアリアを歌ったのをきっかけに、ソロ活動を本格的にはじめ、以降コンサートソロ出演の依頼もくるようになりました。現在は合唱団に請われて宗教曲のソリストとして演奏会に出演することがほぼ毎年で年1〜2回。歌の師の門下発表会で10分ほど歌うのが年1回、病院のクリスマスコンサートで10〜20分歌うのが定例になっています。ここ数年の例ではモーツアルト「レクイエム」、フォーレ「レクイエム」バッハ「ミサ曲ロ短調」のソロ、そしてバッハ「ヨハネ受難曲」のイエス役などです。このプロフィールは私の個人ホームページに載せてありますのでぜひお越しください。数十人の合唱団の前に立ち、時にオーケストラとも併せて演奏するのは責任重く、緊張もし、演奏前の数日はかなり緊張したり、体調の調節が難しかったりで大変です。前日まで、次の演奏会はもう出ないぞと心に思うのですが、本番で多くの観衆の前で歌うことは、とてもいい気持ちになるのです。何故でしょう?プロの歌い手の皆さんも同じ事を言います。人前で歌うことはなにか、麻薬的なものを持っているようです。その一つの理由は自分自身をさらけ出して表現できるからではないでしょうか?自分自身を表出する事って、今の時代しにくいことですよね。それが歌を歌うことで実感できる。さらに、それを聴いた観衆が共感してくれたら最高です。正直言いますと、終わった後の拍手と観客の表情から想像できるだけで、歌っている最中はなかなか一人一人の観客の顔や反応を見るひまはありません。そうした意味ではまだ不十分な演奏だと反省もします。また、こうした演奏会に出るたびにほかのソリストの方々などとの新しい出会いや、医学とは関係ない音楽家との交流が深まり、そうしたことも、医者だけの世界に偏らないと言う意味で大切かと考えます。医師も単に医師として研鑽するだけでなく人間的な広さも必要だと思うのです。何にも増して、理屈抜きにこうしたいわば別世界の人たちとの交流は楽しいです。
三年前と四年前に豊田市コンサートホールで、シューベルトを歌いました、3年前は40分を頂きシューベルトの最高の歌曲組曲である「冬の旅」第一部12曲プラス1曲の13曲を歌いました。今後の夢はシューベルトが好きな仲間たちと、定期的にシューベルティアーデ(シューベルトの時代にシューベルトが作曲した曲を親しい仲間や後援者が集まって、サロンコンサート風に行っていたコンサート)をしたいということです。最終的にはライフワークの「冬の旅」24曲全曲リサイタルをするのが大きな夢です。
シューベルトの歌曲がどうして好きかといえば、私の性に合っていると思うからです(もちろん、声もあっていると思うのですが)。私はイタリアオペラなどのわざとらしく愛情や憎しみを表現するもの・・・これはこれで、鑑賞する分には結構好きで、イタリア歌劇団のトスカには高校時代に涙しましたが・・・こうしたものは恥かしくってだめ。さらに、小学校時代から演劇は苦手、また、勤務医である以上オペラは合同の練習が非常に多く、そうした時間が取れないといった事情もあります。内に秘めた感情を振りなしにメロディーと声で表現するということが、しっくりくるのです
参考までにバックで1曲お聞きください(冬の旅から)。他では昨年のモーツアルトミサ曲、今年のバッハロ短調ミサ曲を歌う中で、この二人の作曲家は特別だと感じています。今年のオケ伴奏付で歌ったバッハのさわりもお聴きください(Et in spiritum)。まだ言葉でしっかりとはいえませんが、またクリスチャンでない私が申し上げるのもなんですが、バッハは神と同じ所にいて、神から聴いた天上の音楽を奏でている。バッハをうまく演奏できたとき、またよい演奏を聴くチャンスがあったときそうした感じがするのです。モーツアルトは、より地上にいるのですが、実は彼自身が天から降りてきた天使ではないかと思えるのです。映画「アマデウス」でサリエリを圧倒した、その悲しみに満ちた美しく深い音楽は以降の古典派・ロマン派とは別格です。この二人の曲を歌うことを通じて、昔にさかのぼればさかのぼるほど人間は神に近かったのだろうな、と思います。シューベルトはずっと人間くさいです。が、リートといわれる歌曲はそうした人間の心奥深くを垣間見させてくれます。音楽におけるテーマも今日の医者としての私のテーマと同じで、どれだけ作曲家の魂の入った音楽に共感=共鳴し、その音楽に内包される精神を聞く人とも共有できるか、ということで、いずれも私のこれからのライフワークとなるものだと考えています。
以上、簡単ですが、私の今まで生きてくるにあたって大切にしてきたことと、これからも続けていきたいことをお話しました。少しでも皆さんの追求に役立つと幸いです。医師となろうと気持ちが確立していった高校時代の経験、大学でサークル活動を行う中で社会の弱い部分に眼を向けられるようになってきたこと、日常の診療の中で心に問題を持った患者さんと接する中で学んだことなど、お話したいことはまだ沢山ありますが、また機会があったらお話させてください。本日はありがとうございました。
愛知教育大学附属中学にて
明日、11/3は、毎年私の歌の先生である広江吉信先生と奥様の教え子の門下発表会です。今年はシーベルティアーデを月末に控え、どうしようか悩んだのですが、メインのノヴァーリスを是非皆さんに聞いてもらいたいという思いと、予行演習のためにも出ようと思ったのですが・・・
1週間ほど前から咳風邪にかかりました。この頃多くの同様症状の患者様が来院し、どれもなかなか治らないもので困っていましたが、私もうつされてしまったようで、苦労しました。昨晩から夜の咳はかなり改善しましたが、声帯に被さるような粘調の痰で今日は声が嗄れてきました。残念ながらピアニストと、先生に連絡し明日の本番はリタイアすることにしました。「無理して歌うと声帯を痛め、長い間歌えなくなるかもしれないこと、十分に歌えず、悔しい思いをすることもあるだろう、幸い門下だからお金を取る会でもないから心配する」なとの先生の言葉でした。
昨日の感じでは咳き込まなければ歌えるが、フォルテは歌えないだろうということ。いったん歌っている間に声帯に痰が絡んだら最後、確かに最後まで歌えないばかりか後まで響くことにもなってしまう。
明日の朝までどうするか考えようと思っていましたが、その時点でやめることになりました。かえってすっきりしましたが、やはり残念でした。
11/5、シュタイナー(アントロポゾフィー)医学関係のガン治療講演会が旗の台の昭和大学付属病院で行われますが、その最後に癒しの時間と題して、ライア伴奏で数曲歌うことになっており、これには何とか間に合わせたいと思いますが・・・ぎりぎりの状態ですね。明日一日声を出さずにいても明後日の土曜は午前診療。開業医をやりながら演奏活動というのは、本当に体調管理が厳しいですね。今回反省し、体調管理をしっかりできるよう、体力もつけていきたいと思うばかりです。
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