人間の声は本来は天から与えられた純粋な(肉体から離れた「客観的」な)ものであり,本来誰もが純粋な声を出すことが出来る。しかし、子供の頃からの音楽教育の問題、自分が音痴ではないかというコンプレックスといったこともあり、歌う際に不必要な力が加わったりして、多くの人が,純粋な声をカバーされてしまっている。その声を被ったカバーを取り除いていこうというのが,アンカバリング・ザ・ボイスだ。
 日本ではその第一人者〔こういう言い方は好まれないと思うが〕の林百香さんが午前中名古屋でグループレッスンを行い,午後,当院二階で個人レッスンを行う企画があり,その最後17時から私にレッスンをしていただいた。
 30年以上歌を勉強し,特にこの十数年は声楽の先生に習っている私だが,現代のクラッシックの発声には疑問を感じていた。下半身の力を入れて腹を支え,出来る限りの大音量を出そうとする発声をよしとするクラシックの歌い手たち(私の先生はそうでもない)。2年ほど前のNH|K
の大河ドラマ(私のうちではほとんどTVを見ないが・・・しかしなぜかこのときは時々見ていた)「新撰組」のオープニングに筋肉もりもりという感じのバスかバリトンの歌が「なーなー」というような音でうたっていた。ぞっとする声だった。こういう暴力的な声を魅力に感じる人たちがいるのだろうか、私はもっと繊細な声で歌いたいと思ったものだ。しかし,単にピアニッシモで歌うというだけではだめだ。
 アンカバーのレッスンでは、(口で言うのは難しいが)体から流れ出る声は,自分の体の中にとどまっていることが多く,その壁を取り去って,客観的に存在する声の流れに合流するようにあわせていくことで豊かな響きを得ることが出来る。子音は口の周りがあとでつらんばかりに筋肉の注意を集中し口から離れたところに発音することで体から宙に離れたところに置くように言葉をだす。この響き(音)と言葉を下半身を中心にした体を限りなく柔らかくして支えることで、自分でも音に気づかないほどしずかに吸気が出来、すべてが統合すれば決して気張ることなく大きな・遠くにとおる響きがえられる。
 なかなか言葉でうまく言えないが,このところ,歌う中で感じて,求めてきた声と共通するところがあって安心した。しかし、わたしはすべての人が,アンカバーを完全にすれば皆同じ客観的声になるという考えには,少しだけ疑問を感じた。今の時代に,私がいて,私の声を通じて発せられる私の声は,完全に客観的なものではなく,私の魂の響きを併せ持っている,だからこそ歌は魅力があるのだと思う。
 ただ,とらわれている我が声と,一瞬でもとらわれから脱した声の豊かさとは,大きな違いがあった。今日の短いレッスンの中でも感じられるものだった。

 レッスンの後,岡山まで戻られる百香さんを三河安城までお送りする車中で,いろいろお話しし,楽しかった。少し,追求してみたいと思う。

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