今日、ハワイに旅行に行ってきたある患者さんが、感心したことがあると語られた。日本で愛国心をというが、アメリカでは(国民の祝日でもないのに)どこの家にもアメリカの旗が飾ってある、こうやっているからこそ愛国心が出来る。日本でも・・日の丸をそうやって飾ればいいと。私は言下に、「あの日の丸をというなら、私はごめんです、戦争の忌まわしい記憶を持ち続けている日の丸は私は遠慮します」と言ってしまいました。なぜ私がこれほどまでに日の丸と君が代を認める気になれないのか・・・自分なりに以前から思っていることをまとめてみた。
中国での日本軍の行った蛮行に関し、当時者たちがそのさなか、また後に振り返って、 どう考えたかを、 精神医学者が克明に研究した書籍、「戦争と罪責」を 3年ほど前に読んで、深い感銘を受けた。いかに戦争中に中国の人たちの命を殺めることに無神経になっていったか、後にどこでそれに気づき、深く反省し心を痛めるようになったか。その人たちが体験を語っていくうえで日本の社会がいかに障害になったか。
日本の政治家は戦後何十回とアジア諸国に「謝罪」して来たという。いつまで謝り続けなくてはならないのか?というのを聞くが、K、Aほか「強攻派」のアジアの国々の人々に対する態度を見れば、 犠牲になった人々の痛みに共感出来ていないことは明白で、 日本人は反省などしていない、口ばかり謝ってきたのだと思われても仕方がない。戦争のせいとはいえ、自国の国民が他国の人々を(自国の人々をも)蹂躙してきたということを、頭だけではなく、心で共感し、悲しみ、もう二度とこういうことはしない、させないと決意できるか、それができてこそ、『謝罪』に意味が生じるのではないだろうか。先頃、保険医協会新聞にY記念館の展示内容に関する記事があり、その大東亜戦争賛美の内容に驚いた。Y神社をどういう形に変えても、大東亜戦争賛美という考えのもとにある神社に、日本の国の代表である総理大臣が参拝することが、近隣諸国の国民にどれほど忌まわしい記憶を呼び覚まさせるのか、思いを馳せることが出来れば、そういう共感能力を持っていれば、Kのような言動は出ないだろう。次期最有力候補AもK路線を歩むらしい・・・犠牲者のいたみへの共感を持った上での 本当の反省が出来ていない日本の政治家、そしてその政治家を野放しにする国民、こんな国(家)に対して「愛国心」と言われても・・・
日本(国民と政治家)が過去の対する真摯な反省と他者に対する共感に基づいた謝罪を行い、過ちは二度と繰り返さないという決意の表明と行動を継続出来ていれば、アジアにおける、経済的だけでない、真の尊敬される中心になることが出来たであろうに。
痛み・喜びを共感する能力は私たち医療者にこそなくてはならない資質だと思われる。
私がそういう資質を他の人たち以上に豊かに持っているか、自分では自信を持って言えない。しかし、患者さんたちの痛み、不安にたいし、どれだけ共感をすることができているか、常に自問しながら診療しようと努力はしている。
〜「無感覚状態から脱し、豊かな感情を取り戻すことができるか」〜 『戦争と罪責』より
2006年8月10日木曜日
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