今日の朝日新聞の記事に
「知る権利」に応えるには
情報源秘匿 何より大切
と出ていた。
さらに逮捕は行き過ぎだという。
「食の偽装」の発端も内部告発だし・・・
というわけだ。
メディアの論点は朝日に限らず、知る権利、情報源秘匿、
表現の自由への公権力の介入
をテーマにしているのだが、
なんか論点がそれだけで良いのだろうか?
今回の奈良の事件は赤福とかミートホープの問題とは本質的に異なる点がある。
それは、少年のプライバシーが細部まで暴かれることが一人の人間のこれからの人生にとって良いのかどうか
そこまでしないと再犯予防の啓発にならなかったのか
どうかという点が論点であるはずだ。
もう一つの論点はジャーナリストのモラルとフェアネスということだ。
再犯予防という「崇高」な目的のために是が非にでも情報が必要なら「「迷惑はかけない」などという代わりに「最悪、逮捕されるかも知れないが協力してほしい」と申し出るべきだったと思う。そして、原稿を鑑定医に見せるべきだったのではないか?
「出所は内緒にしてやるから、何でも話せ、伝えることはこっちが決める」という態度はジャーナリストの万能感の表現、あるいは単に傲慢としか思えない。
情報源さえ秘匿されていれば何を言っても良いわけではないだろう。
「知る権利」といっても、第三者が今後の人一人の人生を左右するかもしれない細かいプライバシーまで知る権利があるとも思えない。
メディアは一人の少年の今後の人生の重みをもっと良く考えるべきだ。
企業の内部告発とは本質的に違う問題だ。
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