今年も後わずかになったけど、今年はショプラー先生が亡くなった年で、忘れられない年になった。ベッテルハイムの自閉症関連の文章を読み直すと、まあ、な んというか「深読み」「身勝手解釈」、「親批判」の連続、やっぱり読んでいて嫌な気持ちになる。一方、自閉症に関連のない、「強制収用所を再訪する」とか 「アメリカ人のフロイト解釈批判」みたいたのは、それなりに面白い。頭が良くて、教養もあって文章力もある人なんだと思うけど、現実をきちんとみれなかっ た。精神分析というスキーマに毒された見方しかできなかったので、自閉症の子どもと家族に不利益を与えた。彼が活躍した1960年代の科学的知識とか精神 医学や心理学の状況を考えれば、彼が自閉症を誤解したのも、多少はやむをえない点もあったのだろう。ただ、彼は多くの研究・臨床成果があがった90年代に なっても自説を曲げなかった。ショプラー先生がこだわったのは、さまざまな根拠があるのに、自分の間違いを正そうとしないベッテルハイムのようなあり方が 許せなかった、あるいはベッテルハイムのような人を認めると(批判をきちんとしないと)、自閉症の子どもと家族に不利益を与えるということを、我々のよう な次ぎの世代にきちんと伝えたかったのではないかという気がしてきた。日本でもベッテルハイムと同じようなことを言っていた人が自己批判もしないで、その まま活動をしていることがある。「だめなものは駄目」ときちんと表出することが大切だ。
ベッテルハイ ムの影響は、水面下で今の日本でも根強くあるのですね。僕も最近色々な意味で危機感を感じることがあり、ぼんやりしていないで、きちんと言うべきことは言 わなければいけないと思うようになりました。ショプラー先生はいつも温厚で優しい笑みを浮かべておられたが、批判すべきことはきちんと批判しなさいと仰り たかったのではないかと、最近しきりにそんな気がするのです。
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