私の叔父(父の弟)が2歳で、京都の路面電車に、はねられなくなりました。祖母に聞いた話ですが、1年近く何もできなかったと言います。そしてもう一人の男の子を授かりやっと立ち直れたと言っていました。遺体がばらばらになり、近くの靴屋さんに頼んで縫ってもらったそうです。お葬式に出すためでした。75年前の話です。
夏の水の悲しい事故が続きます。天竜川の事故で二歳の男の子を含めて5人が亡くなりました。お気の毒です。このような事故が二度と起こらないように安全第一で、運行してもらいたいです。京都にも嵐山近くで川下りがあります。でも天気が悪いときは運行しません。
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2歳児死亡、母親の悲痛な声響く…天竜川転覆
浜松市天竜区の天竜川で23人が乗った川下り船が転覆し、5人が死亡した事故で、運航会社の天竜浜名湖鉄道(浜松市)が21日、記者会見し、今月中にも臨時取締役会を開き、被害者への補償や再発防止策を検討する考えを明らかにした。
名倉健三社長は「5人の死という大変重大な事故を起こしてしまい、心よりおわび申し上げます」と改めて謝罪し、「被害者の皆様には誠心誠意、対応していく」と述べた。
同社によると、20日に川底から引き揚げられた船は原形をとどめていたものの、右側面の中央付近に縦の亀裂が入っており、船尾の船外機はなくなっていた。事故時、船は渦に巻き込まれて大きく右に旋回、右側面が岩壁にぶつかり、船尾から水が入って転覆したとみられる。
20日夜に遺体で発見された浜松市西区桜台の望月柾良(まさよし)ちゃん(2)は、父(39)と姉(9)の3人で乗船していた。遺体が運び込まれた静岡県警天竜署では「助けてあげられなくてごめんね」と、母親の悲痛な声が響いた。 (2011年8月22日00時06分 読売新聞)
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この女子大学生は写真を撮るために、安全フェンスを越えてしまいました。私も展望台に行った事があります。やはりナイアガラの滝は幅が広く広角レンズが無いと全部入りません。当然、後ろに行くという事になります。
英語短期留学を終えて、日本に帰る前の旅行でした。まだ20歳という若さで事故で亡くなる事は悲劇です。自分も娘があります。ご両親やご家族の悲しさは、はかり知れません。慰める言葉もありません。どうか、マスコミの方々におかれましてはそっとしておいてあげてください。私の経験から想像するに夏の四日後に見つかった溺死体は、見る影もないです。歯形で確認されました。ご家族の悲しみは、想像を絶します。とてもお気の毒です。ご冥福をお祈りします。
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トクマスさん、遺体で発見 ナイアガラ滝、歯型で確認
2011.8.20 06:54
カナダの警察は19日、米国とカナダの国境にあるナイアガラの滝に転落、行方不明になっていた日本人女子学生(20)の遺体が見つかったと明らかにした。歯型を照合した結果、本人と確認されたという。
総領事館と警察は、女子学生の氏名を明らかにしていないが、日本政府筋によると、トクマス・アヤノさん=漢字不明=。警察から総領事館に伝えられた情報によると、遺体は18日に滝の米国側で発見され、19日にトクマスさんと確認された。
トクマスさんは、若者が働きながら語学などを学ぶ「ワーキングホリデー制度」を利用してトロントに滞在、英語を勉強するため語学学校に通っていた。今月 14日、友人と一緒にナイアガラの滝のカナダ側で観光中、記念撮影のためにまたがっていた防護柵から誤って滑り、滝つぼに転落した。(共同)
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12歳未満の救命胴衣着用義務違反が無ければ、行方不明3人の中のひとりの2歳のお子さんも救助されていたと思います。
詳しい事故解説は、「ブルース in東京」の夢見先生の記事を読んでください。
サンデイエゴでモーターボートに、乗ったときドクターママ先生の二人の子供たちは、救命胴衣の着用を嫌がりました。でもレンタルボートの人たちは無理矢理に強制しました。
ただ暑いからという理由で、救命胴衣をつけなかったのは、今まで事故が無かったのが理由かもしれません。でもちゃんと義務を守っていれば、2歳のお子さんは、救助されていたでしょう。子供さんのご両親の気持ちを思うと、とてもお気の毒です 。
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天竜川事故 12歳未満の5人、救命胴衣つけず
 天竜川転覆事故
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浜松市天竜区の天竜川下り船の転覆事故で、転覆した船に乗船していた12歳未満の乗客6人のうち5人が救命胴衣を身につけていなかったと、操船していた 船頭が証言していることがわかった。運営する「天竜浜名湖鉄道」(同区)が18日午前に開いた記者会見で明らかにした。法令では、12歳未満の乗客は救命胴衣を着用させるよう義務付けられている。
転覆した船には、乗客21人と船頭2人の計23人が乗っていた。2人が死亡し、6人が負傷。浜松市消防局などは18日早朝から、行方不明となっている浜松市西区の望月柾良(まさよし)ちゃん(2)ら3人の捜索を再開した。
静岡県警は同日午前、天竜浜名湖鉄道の本社など3カ所に業務上過失致死の疑いで家宅捜索に入った。運輸安全委員会の調査官も現地入りし、事故原因を調べている。
(ASAHI.COM)
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ナイアガラの滝は、カナダのトロントの近くにあり何度も行きました。
二十歳の女子短期留学生が展望台から、転落しました。今まで、飛び降り、転落で生き残ったのは一人だけです。奇跡的に助かることを望みますが、実際には、54mの高さからの転落で生存の可能性は限りなくゼロに近く、地元の警察も絶望的だと言っています。不幸な事故でした。
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ナイアガラ転落事故、女性は20歳の短期語学留学生(08/17 11:55)テレ朝
日本人女性がナイアガラの滝に転落した事故で、行方不明となっているのは20歳の短期留学生であることが分かりました。
この女性は、カナダ・トロント市のハンザ語学センターに通っていた20歳のトクマス・アヤノさんです。学校によりますと、トクマスさんは1カ月の予定で中級クラスに通学していて、来週末にはカリキュラムを終える予定だったということです。
語学学校のクラスメート:「いつもにこにこして笑っていた。面白い子だった」
現地の日本総領事館によりますと、トクマスさんは、働きながら滞在できるワーキングホリデー制度を利用していました。トクマスさんは14日夜、ナイアガラの滝の展望台から転落して流され、警察などが捜索しましたが、行方が分かっていません。
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(カナダ国観光局)
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ドクターママ先生の家族がテキサスのエルパソからサンデイエゴに来られました。私は、動物園もシーワールド(sea world)も年間パスを持っているので、できる限り案内をしました。長女のHちゃん、大学生で今がんばっています。サマースクールで無機化学を含めて全部Aをとりました。日本語、英語、スペイン語、フランス語、中国語、韓国語を全部こなす秀才の国際人です。音楽も声楽、ピアノ、バイオリン、ギタープラスその他の楽器を演奏できます。ご主人も内科医で6-7カ国語こなせる秀才です。長男のL君は、障害がありますが、いつも笑顔で音楽も大好きです。友達になりました。次男のC君三男のM君そして次女のYちゃん、皆すごくいい子たちです。一日目はシーワールドとモーターボートで、楽しみました。二日目は、ボウリングと日本食料品店でおいしい米や炊飯機やその他のショッピングの後、夕方にカラオケボックスに行きました。とっても楽しく過ごせました。長女のHちゃんは、プロ歌手のように上手でした。次男と三男の子供たちは、最初「僕たちは歌わないよ」と言っていましたが、最後のほうはマイクの取り合いでした。ドクターママ先生もご主人も歌われました。
皆上手でした。とても楽しく過ごせて、私はもっといたかったのですが、次の日に仕事があるので、泣く泣くよるの十時ぐらいにロスに帰りました。ドクターママ先生、焼き肉をごちそうしていただきありがとうございました。また会える日を楽しみにしています。




長女のHちゃんがモーターボートを運転しました。アメリカでは、自動車の免許でモーターボートが運転できます。
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先ほど京大医学部付属病院呼吸器内科の真砂先生と話せました。
私「真砂先生、松山俊彦さん(仮名)は、どうですか?」
真砂先生「松山さんのCTスキャンの結果で、あと少しだけ、がん細胞が残っています。今は、白血球が低下しているので、第三期の4回の抗がん剤が投与できませんが、もうすぐ再開します。
放射線治療はもう50回して終了しました。この最後の抗がん剤の投与でたぶん完治します。でももし、すこし残った場合は手術をして外科的に残りを切除します。そうしたら、日本での治療は終わり、先生にアメリカで定期的に診ていただきます。患者さんに今までの治療の経過や資料を、お渡しします。私は外科治療は、必要無いと思います。たぶん9月にはアメリカに帰れると思います。」
私「 真砂先生、ほんとうにありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」
松山さんは、リハビリをかねて、病院の向かいのコンビニにいっているみたいです。週に1度は、外室許可をもらって、近くのスーパーに行って食材を買って自分で調理しているみたいです。そしてもう病院食は、もらっていないということでした。
めでたし、めでたし!
夢見先生はじめ、ブログの医師仲間、読者の方々の祈りが通じました。
ほんとうに、皆さんありがとうございました。これで二人の幼い子供さんもお父さんを亡くすことは避ける事ができました。
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この間の7月4日の三連休の時に、再開発できれいになった、ダウンタウンの写真を撮りました。
最初の2枚の写真は、ドクターママ家族が泊まられるホテルです。










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サンディエゴ動物園に3連休を使って行って来ました。ハチュウ類館だけ行きました。







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京都大学医学部付属病院に行かれた肺がんの松山俊彦さん(仮名)が入院治療されます。患者さんと話しました。だいたいの会話を再現します。
伊達洋至教授 「松山さん、あなたのがんは血管の多いところにあり、手術はできません。でも化学療法と放射線治療を始めます。」
松山俊彦さん「先生、その治療は延命治療ですか、それともがんを治す治療ですか?」
伊達教授 「あなたの場合、ぎりぎりセーフです。がん治療は可能です。でも1ヶ月半の治療は、とても苦しい副作用があり、そのことは覚悟してください。そしてアメリカに帰られても再発の可能性が数年後にあります。その時はまた京都に帰ってきてください。」
松山さん「先生、いつ入院できますか?」
伊達教授「今、開いているベッドがありませんが、アメリカからの紹介なので、最優先して6月3日に入院してもらいます。でもPET(放射性同位元素のついたぶとう糖を血管から入れて体中のがん転移を検査する方法)をもう一度してもらいます。もう埼玉で受けていますが、数週間たっているので、もう一度外来でしていただきます。そしてこの数日外来で検査してもらいます。入院は金曜日なので、実際の治療は6月6日の月曜日からです。」
松山さん「先生、ありがとうございます。近くの旅館にそれまで宿泊して外来検査を受けます。」
日本の医療は、本当にすごいです。アメリカで保険が無くても、また国民健康保険の加入できるすばらしい制度です。
そして、私のブログ仲間の医師と一般人の方に感謝です。実際に紹介をしていただいた夢見先生や影ながら祈っていてくれた方々に、私から感謝します。本当にありがとうございました。
アメリカに帰ってこられたら、今度は、アメリカの保険に入ってもらいます。オバマ大統領の健康保険改革で、既存症があっても保険に入れるようになりました。
ほうとうにうれしいです。
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以前の肺がんの患者さんが今、京都に埼玉から向かっています。
京都大学医学部付属病院胸部呼吸器外科の予約担当者と看護師の方と電話で話しました。伊達洋至教授の予約は1ヶ月先まで無いということでした。でも5月30日の月曜日の朝8時半から11時までの外来に特攻作戦を提案されました。 ファクスで患者紹介を英語で書き、胸部レントゲンとCTの結果を全部送りました。
私の診療所の受付が確認すると、「DAICHAN先生のアメリカからの患者さんですね!状況は理解しています。患者さんには、今までの資料を持って朝一番に来られるように言ってください。」と言われたということでした。早速埼玉にいる患者さんと話しました。そして京都に行くように説得しました。もう関東で3病院、関西で3病院に行って、少し落ち込んでいるようでした。もう3週間何も治療されていないということでした。小細胞がんなら、ステージ1まで、非小細胞がんなら、ステージ3まで手術可能です。今までの検査の結果、肝臓や近くの臓器には転移していないそうです。すぐにいつも私がお世話になっている京都の旅館 聖護院荘に電話をして予約をとってあげました。5月29日に行き、一晩宿泊して、次の朝に行くようです。7CMもあるので手術可能かどうかは判りません。また報告します。遠いアメリカから私は祈るだけです。伊達先生を教えていただいた「ブルース IN 東京 」の夢見先生に感謝しています。
伊達先生は、2010年の10月のNHKのプロフェショナルという番組に出ていた医師です。
http://www.nhk.or.jp/professional/2010/1018/index.html
http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ref=em_over&ch_userid=whasn&prgid=39753602&categid=all&page=1
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外科は、自分の腕次第で患者さんの命を直接左右する医療です。その責任は重く、一流の外科医になるためには、厳しい修練が必要です。しかしながら、“先生 に手術していただきたい”“先生に手術していただいて本当によかった”という患者さんの言葉を聴くとき、外科医になって本当によかったと感じます。患者さ んに信頼される呼吸器外科をめざしています。
- 日本胸部外科学会理事
- 日本外科学会外科専門医
- 日本外科学会指導医
- 日本胸部外科学会指導医
- 呼吸器外科専門医
- 日本呼吸器学会指導医
- 日本呼吸器学会呼吸器専門医
- 日本呼吸器内視鏡学会指導医
- ECFMG
卒業年:1984年岡山大学医学部
略歴
- 1984年
- 岡山大学医学部第2外科大学院入学
- 1988年
- 同上卒業
- 1989年
- ワシントン大学胸部外科肺移植研究生
- 1993年
- 岡山大学医学部附属病院第2外科助手
- 1993年
- クリーブランドクリニック胸部外科フェロー
- 1994年
- ワシントン大学胸部外科肺移植フェロー
- 2002年
- 岡山大学医学部附属病院第2外科講師
- 2004年
- 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科腫瘍・胸部外科助教授
- 2006年
- 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科腫瘍・胸部外科教授
- 2007年
- 京都大学大学院医学研究科器官外科学講座呼吸器外科学教授
現在に至る
専門分野
- 専門は呼吸器外科全般(肺癌などの悪性腫瘍、肺移植など)
- 約2,600例の肺癌などの呼吸器外科手術を経験
- 日本で初めての生体肺移植を執刀し、日米通算104例の肺移植を経験
- 200を越える英語論文(筆頭32)
趣味・特技
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