成田から北京に、向かう前に激しい雷雨でした。飛行機が遅れて北京に夜遅くに到着。とてつもない大きい空港でした。モノレールのような乗り物で二駅、入国管理局、セキュリティーチェックですべてのバッグの検査、ボーデイチェック。はじめから嫌な出だしでした。まだ私は、良いほうでした。ある黒人女性が隣の部屋に連れて行かれました。やっと終わり、出口に。かなり神経を使っていました。このオリンピックのため、他の地域から、50万人の警察官を、増加しました。いたるところに警官、軍人の人が見張っています。
出口に旅行社の人が来ているはずと思いました。誰もいません。インフォメーシヨンデスクの美人中国人の人とは英語も日本語も通じません。でも彼女の携帯で、ホテルの日本人スタッフと話すことができ、他のグループ担当者に中国語でタクシーの運転手にホテル名を言ってもらい、やっとホテルに。すぐ寝ました。1日目の終わりです。「明日は、準決勝だから今晩は、寝ないと。」思いながら。
次の記事に続きます。

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こんにちは、お久しぶりです。
北京の空港の写真を見てビックリしました。
かれこれ15年位前に北京へ貧乏旅行に行ったのですが、最初に降り立った北京の空港の印象はいまだに覚えています。薄暗く、日本の昔の公衆便所(食事中でしたらご免なさい)の雰囲気(臭いも)でした。かなりのカルチャーショックを覚えたのを記憶しています。
写真の様な美人おねーさんは皆無でした。
様変わりした中国を見てみたいです。
気を付けて旅行を楽しんでください。
北京の空港きれいになってびっくりです。留学生と仲良くなって、彼女が帰国してから、一度遊びに行きました。10年以上前です。
彼女は仕事で忙しかったので、お迎えを旅行社の人にお願いしてました。空港に到着したはいいけれど、迎えにくるはずの旅行社の人がいなくて、一人で、途方にくれた記憶があります。深夜で、女性一人で、言葉も通じなくて、本当に怖かったです。このへんはあんまり変わってませんねー。
返事遅れてすみません。飛行場も高速道路も新幹線もすべてこのオリンピックのために、整備したようです。私のブログで、また書きます。まるで昭和39年(1964年)の時に、日本が、新幹線、高速道路を整備したように。ではまた。
コメントの返事遅れてすみません。やっと無事にアメリカに帰ってきました。オリンピックが北京にくると決まってから、競技場、飛行場から市内の高速道路は整備されたみたいでした。2008年8月に北京から天津まで、時速350kmの新幹線が開通しました。言葉が通じないので、筆談で乗り切りました。でも着いた時は、本当に困りました。先生が女性一人で困られたのは理解できます。ではまた。
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