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物持ちのいい私の母。
鉄製のフライパンはもう35年以上愛用中。
フライパンといっても、底が平たいやつではなく、中華鍋の片手鍋バージョンのようなもの。炒め物や焼き物はもちろん、揚げ物も煮物も、薫製まですべてこなす万能調理器。
もともとは鉄の色がそのままで、すぐに油を塗らないと錆びがでてきたとのことだが、現在は黒々とした立派なフライパンに育っている。
ダッチオーブンは黒々と育てるのが目標という人もいるのだが、実家のフライパンは毎日の料理にただ使っていたらそうなっただけ。いつも短時間でとても美味しい料理が出てくる。
ルクルーゼだ、ストウブだ、野田琺瑯だ、と、私はついつい高級だが高価なものに頼ってしまうんだけど、元々3000円弱のフライパンを、どんな高価な鍋よりも高級なものにしてしまう母を見習いたいなと思う。
私の片付けられないところは母譲りなんだけど。そこは見習いたくなかったな。
TPP・・・関税の撤廃。
もし交渉で有利な条件を引き出せたとしても、今の日本にとってのメリットは少ないのかもしれない。ただ、不利な条件が、後の世をみても悪いことだとは限らない。1853年の黒船襲来、その当時の日本にとっては有利なことなどなかっただろうが、今の時代に振り返ってみて、時代の潮流にのっただけだったと思う。
ま、実際のところ、政治の駆け引きには関心がない。
私の関心は美味しい物が食べられるかどうかということ。というわけで、食品に関してのTPPしか関心を持てない。
フランス産のオマール海老もシャラン鴨も、カリフォルニア産の牛肉も美味しい。ヨーグルトとポテトチップスはギリシャが一番だと思う。残念ながら日本が一番のものばかりではない。
ただ、米に関しては、日本がいいと思う。海外で美味しい米に出会ったことはない。家で食べるのは産地を選べるが、外食して、出てくるのが輸入米だとテンション下がるだろうと思う。
しかし、日本の米農家を盲目的に守る必要もないと思う。気候風土が全く米に適さない地域でも、米が年貢となっていた時代の名残なのか(平安時代?)、未だに米を作り続けている。これは全く無駄な行為だと思う。国内を旅行していると、ある地域に入った途端、米の味が落ちることを経験する。このようにまずい米が生き残っているのは、過剰に米農家を守りすぎた証拠だと確信する。本来なら淘汰されているべきもののはずだ。
そういった無駄がクリアされるのであれば、TPPという外圧であろうがなかろうが、どちらでもよい。
ブルゴーニュワインが産地によって、特級、一級、村名、地域名と格付けされ、それに加えて作り手の評価があるように、米も気候・土壌・作り手の腕によって、評価してもいいのではないかと思う。
日本の米、高いもので5kgで4000円くらい、安いもので1500円くらい。たった3倍弱の差しかない。これが正当な評価なんだろうかと思う。まあ、5kgで4万円とかになったら、さすがに躊躇するけど、もしそれだけの魅力があれば、贅沢米の日を作って賞味したい。その場合は1回分の少量販売をしてほしいけど。
話変わるが、米を最も美味しく炊ける道具は、炊飯器でも土鍋でもルクルーゼでもなく、飯盒だと思う。新米の季節、飯盒を持って、清流の水を汲み、火をおこし、美味しい米を食べる。最高の贅沢ではないか。ひとつまみの美味しい塩があれば、申し分ない。
もう国民の主食が米だ、と断言できるような時代ではない。少なくとも、私にとっては、毎食食べるものではない。他の食べ物と同様に嗜好品だ。
価値の基準は様々だ。安心感を求める人もいれば、価格を求める人もいる。
ちなみに、私は、安心・安全よりも味を絶対的に優先する。美味しい物を美味しく食べられたら、その時点で健康だと思っている。有機栽培を好むことが多いが、化学肥料だと味に雑味が出ることが多いからという理由であり、味さえよければなんでもいい。残留農薬や放射線量が基準値オーバーだろうが、味に影響なければ、より美味しい方がよい。
他の事柄の価値に関しては、たびたび揺らぐのだが、たぶん、食べ物に関する価値基準だけは、かなりの頑固さで続いており、死ぬまで残るんじゃないかと思う。
今後、年をとって味覚が衰えたら、血圧が高いから塩分を控えなさいと医者に注意されても、「美味しく食べたい」と駄々をこね、目を盗んでソースをかけるんだろうなと思う。腎臓が悪いからカリウムを控えなさいと言われても、柑橘をたっぷり絞ってご満悦なんだろうと思う。
不良ばあちゃんだな。
Scの勉強会に参加した・・・つもりだった。
演者の先生によると、25歳から思春期に突入し、45歳頃から晩熟期にさしかかるらしい。
現在、私30歳。
精神分析的な視点からすると、思春期真っ只中ということなのだろうか。
超越しすぎてわからない。
2月末〜3月末にかけての1週間、冬休みをとれることになった。
どこにいこうかな。
他の人は休みではないので、どこかに行くとしても、一人で行くことになる。またなにかツアーにでも参加しようかな。
季節的に、ヨーロッパは寒いだろうし、どこにいけばいいのかで少し悩む。1週間だし、あんまり遠いところも移動だけになっちゃうし。アジアかなぁ。ラオス、ミャンマーくらいだろうか。
生活していると、次にやるべきことがなになのか、よくわからなくなってくる。
仕事上でも、さっきNsに言われたばかりのことなのに、カルテ上の指示変更や、あとで電話ください、など、自分にとって興味の薄いことだと、5回に1回は完全に忘れてしまう。忘れない5回に3回は、その場ですぐやるときで、他のことをしていてどうしても手が離せないときには、半分の確率でダメということ。
しかし、こう考えて、5回中3回は言われたときにすぐにやれるということは、ずいぶん暇な仕事をしているらしい。
次にやることがわかれば、あっという間に仕事が片付いて、毎日定時には帰れるのではなかろうか、と思うんだけど、次にやることがわからなくなるから、それを思い出すのに時間がかかるのかもしれない。
カルテ記載にも、何を書けばいいのかわかっていれば、たとえば書き写すだけなら、今の半分から3分の1くらいの時間で終わるだろう。
現在の病院では、問題リストをDSM-ⅣのⅠ軸~Ⅴ軸に沿った順番で記載するのが習慣になっている。画一な記載が必ずしもいいとは思わないけど、これは見やすいし、書き洩れ防止にもいい。習慣になるまでは、いずれにしてもカルテ記載に時間はかかるだろうが、自分のものにしていきたいなと思う。
せっかくの大学当直の日。
残った仕事を片付けようと意気込んていたのに、ほとんど片付いていない。というか、仕事どころか、机の上までぐちゃぐちゃ。
読みたい論文がいくつもたまってしまった。こうなると、優先順位をつけないといけない。
うん。今日はもう遅いし、シャワー浴びて、歯を磨いて、寝よう。
エコバッグを購入した。 流行のものではなく、日本古来のエコバッグ。
竹虎さんの白竹八ツ目手提げかご↓
http://www.taketora.co.jp/bag/ba00100.html
スーパーの袋が有料化され、もらったり買ったり、自分が持っているエコバッグの数も多くなってきた。が、ちゃんと使いこなせているものははっきり言ってない。エコバッグは、中に何か入れて使ったらそれなりに見られるものもあるが、飾って美しいものってないから、見えないように片付けてしまう。
そして、片付けたが最後、買い物に行く時に持たずに出かけてしまう。AD/HDだからしかたない。しかしエコバッグは買い物の時に持っていないと意味ない。
そこで、この竹かご。なんにも入っていなくてもきちんと自立する。玄関に鎮座させても、違和感がない。玄関に出しておけば、目につくので、きっと買い物に出る時に忘れることもないだろう。
いくつもあるエコバッグは捨ててしまおうと考えている。
エコバッグ 使わなければ ただのゴミ
竹籠に行き着くまでに、無駄が多かった。
さらに、悩んだ末に白竹八つ目にしたが、やっぱり虎竹買い物かご↓
http://www.taketora.co.jp/bag/ba0021.html
がよかったかな、としつこく悩んでみたりもする優柔不断な私。
ただ、白竹が何十年もかけて色合いが変わってくるのが、楽しみだ。大事に使おう。
しま腸の高騰にびっくりした前回のもつ鍋パーティー。
直明けで眠ってしまった人、家庭内危機があり来れなかった人などあり、8人の予定が5人に減り、肉がどっさい余ってしまった。まあ、そもそもの8人で3kgは食べるだろうという、そもそもの仮定がおかしかったという説もある。
まあ、せっかくの高価なもつ肉なので、余った分を適当に分配。
実家でも食べた。
食べ終わる頃に、祖母が「こんな肉、カレーにしたらいいのに」と一言。
祖母は自前の歯だし、瓦煎餅でもスルメでも食べられる。肉が固いとかそんな問題ではなかったよう。単純に、『ホルモン=放るもん』だから、なんでこんな肉を鍋のメインにしたんだろうと思ったらしい。
やたらパクパク食べていたから、気に入ったようでよかった、と思っていたのに、がっかり。
悪気はなかったんだろうけど、こちらはいい物を出したと喜んでいたのに、相手はこんなものを出して、と思っていたかと思うと、残念な気持ちになった。
気持ちのすれ違いというのは、普段の食事から生まれる。食べ物の恨みはしつこい。